A.Banana.S

古代ローマ、ナックス兄さん、ドートマンダー・・・好きなことをぽつぽつと。

このごろの話と『源氏物語』の話②

 やったーっ! 『刑事7人』は見られる! 音尾さーーーん!!(はぁと)

 

というのが、最々近の心境でございます。

 

それよりはそこそこ前ですが、先日、失恋しました。…あ、いや、またか、というか、同じ方に。あきらめきれずに粘っていたんですが、今度こそ完膚なきまでに。

ただ、落ち込み期間はそれほど長くならずに済みそうです。いや、済みました。それ以前にその件でさんざんな脈なし具合に落ち込んでいたためでもありますが、ようやく失恋する覚悟がついたといいますか。

お前にしてはよくやった。お前にしては真っ向勝負をして、玉砕した。その経験ができた。それにしても時間がかかったけれども(苦笑)。

でもいくら色々なメディアで「市場価値」とか「女性のタイムリミット」とかなんとか言われ、「時間を無駄にするな」とか書いてあるのを見ても、やっぱり無理でした。そう簡単にやめるのは。

うるせーーーい!! 市場価値がなんだ!! なんで女ばっかそんなふうに追いつめワードを浴びせられなきゃいけないんだ!! (←失礼。正論も現実もわかっているつもりです。それに男性だって大変。それにしても果たして女性の幸せにつながる言葉なのか、考えてしまいます…)

ある方には、「それよりキミ、そもそも結婚願望あるの?」とも言われました。うぐ。

 

……じゃあ、私はいったいなにが欲しいんでしょうか?

 

これより少し前に、『源氏物語』を最後まで読破していました。後半の主人公が薫という人なのですが、これがもう…始末の悪すぎる男で(苦笑)。

自分の出自があやしいからか、自己の存在に自信がない。そのくせプライドが高く、「現世に執着はない。早く出家したい」とか言いながら、色々な理由をつけてもの凄まじく現世に執着する。出世と世間体第一の男。

そんな彼は、本命の女に「好きだ」と突進することができない。それだけならまだしも、他の女を「身代わり」だの「愛してはいない。本気ではない」だの言いながら抱く。

大塚ひかりさんいわく、「身代わり」と言わなければ女を抱けないほど自信がない。

『宇治十帖』は現代的だと読みながらしみじみ思ったのですが、そこではたと思い至りました。

「本命に向かえないほど自信がないのは、私だ」と。本命に挑む勇気がなく、傷を負うことから逃げまくり。ほかのことをやりながら。

過去にもそんなことをしてきたように思います。本命に立ち向かった末に玉砕したときに受ける傷が怖かった。そして本命以外を選択し、結局あちこちに迷惑をかけ、投げ出した(恋愛ではないですが)。

欲しいものがなにかわからない。あるいは欲しいものを直視する勇気がない。まして挑む勇気はなおさら。そんな人間。

薫を非難する資格があるのか。お前だって薫と同じじゃないのか。

そう思い至りました。

いや、他にも色々話を聞いてもらったおかげですけれども。

おかげでちょっとだけ勇気を持って行動できました。傷も大事にならず済みました。

 

それにしても薫さんは、自分の内面が抱える問題の、根本的なところを認識していません。「それもこれも俗世を厭う風変わりな自分の性格のせいだ」とか。いや、違う。問題そこじゃない。むしろ「俗世を厭う」と口では言いながらだれよりも俗世に執着し、愛する女性に愛を打ち明けられない、自分の気持ちを認められない、自分を守りすぎるところにある…のではないの。

挙句、その迷走の末に自殺未遂にまで追い込んだ女性に、「お前を許そう」とか言って、罪悪感まで与える。

どー考えても悪いのア・ナ・タ! せめてもうそっとしといてあげて! と、読者の総ツッコミを受けてきたであろう、薫。

でも薫は変わらなかったが、浮舟は変わることができた。まだだいぶ危うい感じだとしても。

二人の闘いはきっと永遠に続くのでしょう。変わらない人間と変わろうとする人間。

 

私の場合は、まず、あれだ。男性より女性恐怖症が露呈した。基本的に自分は友人としていらない存在だと思っている。小学生のときからかな。いじめほどひどいものではなかったけどね。彼女たちがいじめるほどの関心を私に持っていなかったことはよく知っている。なにしろ極度の自意識過剰だったわけですから、私は。彼女たちは彼女たちの友だちと楽しく過ごせていればそれでよかった。私はそれを邪魔しなければ、いてもいなくてもよかった。びくびくしていて、目障りだっただろうけれど。自分の苦手意識って、相手にも伝わってしまうものだから。

自分なんていないほうがいいと思う。それも一種の自意識過剰だと、指摘してもらったこともあるし、今は自覚もある。

でもまあ、思春期の子どもというのは、だれもが多少なりとも自意識過剰でしょう。

 

しかし結果、大人になっても、自分からだれかに声をかけることが、極端にできない人間になってしまった。たとえ縁ができたとしても、他人と直接であれ、メール等の言葉であれ、やりとりすることそれ自体が怖くなってしまった(嘘みたいでしょう)。

そうして、独りで動く癖がついた。楽だから。

 

が、後に、その自信のなさのせいで、私は取り返しのつかないことをした。いや、なにもしなかったことが、取り返しのつかないことだ。

 

だれだって多かれ少なかれ嫌な思い出とかトラウマは持っている。まして私のはたぶん軽度。だからもう忘れて、言い訳にはするまいとずいぶん前から思っているのですが、気づけばその「恐れ」に囚われている自分がいます。無意識にです。

 

あらぁ…また変なことを語り出してしまった。

 

怖いんだ。とにかく、怖い。なにもかもが怖い。

 

だが、少なくとも自覚はある。今からでも、傷を負うことを怖れないよう言い聞かせながら少しずつ変わっていくしかない。

変わらなくとも生きてはいけるだろうけれど、ね。薫さんみたいに。

 

 

 

いや、まあ、なによりも、今現在だ。お前には、CDJと、そしてXXのチケットがある。それがどんなに幸運なことか。

失恋しようが、仕事で上手くいかなかろうが、将来が見えなかろうが、これらを支えに今年は生きていけるでしょう。

 

新しい出会いもあるかもしれないし。……いや、むしろ作れ。怖がるな。

 

くじけるなっ!…てね。