A.Banana.S

古代ローマ、NACSさん、ドートマンダーにパーカー、西武ライオンズ、FEプレイ日記(似非)・・・好きなことをぽつぽつと。

あと14年しかないのに。

 

えー、毎年この日には、上記のような画像とともに「確定未来」と叫んで、アマチュア物書きの端くれとしての決意表明をしてきたのですが……って、気づけば2023年初ブログ投稿でしたか!

 

も、もう十四年しかないというのに……古代ローマものの次回作はいおろか、もっと気軽な感じで書いてきたあれやこれやまで、この一年、まったく書けないというあり様になっております。

 

もう物書きとして、かつてないくらいの死に体。ブログでさえこのあり様。

 

Twitterがあるからいいのでは、と思わないでもないのですが、このごろは自分がTweetする意味さえ見失いつつあります。しかもあちらでちょくちょく書いてしまうから、ますますブログでじっくり書く機会がなくなってしまうという。

どちらも他人様の目に触れる機会は、私の場合さして変わりはございません。

 

この一年、転職して転職して転職して引っ越しして引っ越ししてまた引っ越しするという、激動の時ではありましたが、それでもなにか物語を書く時間が、まったくなかったわけではありません。

実を言えば、何度も何度も考えて考えては、まとまらず、ボツになり、いつまでたっても話がつながらない……みたいな状態をくり返しておりました。

まぁ、古代ローマものの次作は、一年くらい休むかなと思っていたのですが……

それ以外のあれやこれやまでまったく書けない頭になるとは想定外でした。だいたいこれまで古代ローマものを書かない空きの期間には、あまりおおっぴらにできないものをあちこちに書き散らして楽しくしておりましたものな。(※その一部は、プロフィールページにリンク貼っていますが、貼っていないものもある)

 

こんなになにもかも書けなくなった感があるのは、初めてかもしれない。

 

 

なぜなのか。

 

 

まず前記事に書いたように、ある意味では作家としての「夢が終わった」ことにもあるでしょう。

それから、生活環境の変化が続いていることもあるでしょう。暇がないわけではないのですが、落ち着かず、やらねばならないことがまだまだある気がして、無駄なまでに忙しくしている感があります。そして、夜型と朝型生活を行き来し、一日の終わりにはぼんやりしつくしてしまう。

そして現在、一時出戻った結果、今度こそ長年慣れ親しんだ環境ときっぱり別れなければいけないという事実、一方で待ち受けるまたも新しい環境へ対する不安もあるでしょう。正直に言えば、こんなに別れが辛いと思ったことはない。変化へ適応できずに病んできた経験だってもう何度目か。

 

ほとんどそれらに押しつぶされかかっているのかもしれません。けれどもそうならないために、なんとかかろうじてスマホをいじるとかドラマや映画を観るとかはできている。鬱ではない。

 

ただ、自らでなにかを生み出すという能動的な楽しみが、一切できなくなってしまった。

 

そろそろ能動的に取り組むときです。おそらくそれこそが、いちばん別れの辛さをなぐさめ、新生活への不安をやり過ごさせてくれる最良の手段でしょう。

私というやつはいつだって、新生活に入るときは、能動的な趣味をやめにして、それで自分を見失ってしまうことがありました。

今度こそ、能動的な趣味を続けたまま、新生活に突入し、気がつけば慣れていた、なんて状態になっていたい。

それは単なる理想でしょうか。

けれども、今日この日まで構想はまとまらず、ボツになり、ポシャるをくり返し、くり返し……

つまり、軽めのではあれ、考えてはいるのです。まったく創作について考えていないわけじゃない。

ただ、あまりにも長いあいだ、考えているだけ。次の行動に移せないだけ。

だから、創作者として瀕死だと、このごろぼやいているわけでした。

 

そのうえですが、集中力が続かなくなってきた感覚があります。年齢のせいもあるかと思いますが、アラフォー、されどアラフォー。立派な中年ではあれ、まだ頭まで衰えたなんて降参するには早すぎる年齢。物書きとしてなら、むしろこれからという年齢でしょう。

 

それなのに、このごろ脳が腐っていくとでもいうような感覚というか、恐れがあります。

だからこそ、やはりこの年齢だからこそ、慣れ親しんだ環境を離れなければ、本当に頭の中が硬直し、委縮してしまう。この年齢にして。

新しいことこそ、頭を活発にしてくれる。刺激をくれる。世間的にどんなに初歩的なことではあれ、成長させてくれる。この一年で実感したことは、そういったこと。

ただ、それがどんなに大変なことかもわかっている。

一年前に戻って、もう一度同じ道をやり直せと言われたら、嫌だと言うと思う。後悔しているからではなく、あんな大変な思いを2周目なんて御免だと思うからです。

 

とどのつまりは、「もうちょっと」かな。

 

十四年後という期限に間に合うかは、実際のところ相当厳しくなりました。

ただ、この記事を書きながら思ったのですが、私はいずれまた書くでしょう。たとえ腕がなまりになまって、ただでさえああなのに、さらに稚拙になったとしても。

今回、元の職場へ出戻って思ったのですが、やはり腕はなまっていました。1ヶ月強は明白にポンコツでした。今もそうかもしらん……。

ただ、私はやるでしょう。いずれ。

 

古代ローマの四作目か。

ファイアーエムブレムのお遊び物語か。

あのファンフィクションか。

チーズス○ック危機一ぱ……(叩き伏せ)

 

全部、この一年のあいだに、考えなかったわけじゃないんですよ!

ただ、一本もまとまらなかったんですよ!

これは、終わりですか!? わたくしめ!? 物書きとして、死す!? 長年の趣味も、ついに終わり!?

 

い、いやいや、そうではなく。きっとそうではなく。

今はちょっと、新しいところで、やらねばならないことがあるだけ。

やらねばならない(と思った)ことへ逃げているだけだとしても。

 

ここに書きたいこともいっぱいあるんですよ。映画やドラマの感想とか。

 

ただ、じっくり言語化することが、今は難しい。とてつもない時間と労力に感じられてしまう。

 

けれどもそのうち戻ってくるでしょう。

 

戻れなかったら戻れなかったで、それはそれ、終わりということでも、たぶん悔いがなかったってことでしょうし。

 

しかしともかく、なによりも、約束は約束です。そのために今年もこの日を覚えています。

 

つらつら、とりとめもなく現状をぼやきましたが、2037年3月16日まであと14年。

 

今年中に、「構想はできた。調べものもおおむねできた。あとは書くだけ!」くらいにはしたいところですね、四作目。

 

……そのあいだに過去作の宣伝でもすればいいのに、そういう気力もないんかいって話ですが、

そのへんの欲もないわけじゃないのに、それでも乏しいんだろうか……。

 

でもまぁ、次があってこその過去だとも思っています。

 

ですから、今はちょっと、「その時」を待つだけ、ってことで!

 

落ち着いたら──つまりはたぶん、「その時」が近づいたら──いや、そんなこと言わずただ近々、またのんきにエンタメ記事でも書きたいですな。

 

 

ところで最後にこのようなことを書くのはどうにも……ではあるのですが、2000年前の後23年は、古代ローマ第二代皇帝にとって、辛いなどという言葉では済まない年であったと思われます。

……拙著三作目の最後のほうに書いてなくはない。

 

それでも続く、人生よ。

 

 

以下、拙著古代ローマもの三作目:『世界の果てで、永遠の友に』

 https://ncode.syosetu.com/n5712hm/