近ごろ、ブログがだいぶ暴走気味で大変恐縮です。
ところで、先日なのですが、こちら拙著『ティベリウス・ネロの虜囚』のアクセス記録です。
2015年の12月に最終部分を掲載したので、およそ3年3ヶ月が経過しています。
他所様と比べたことがないのですが、この数は本当にすごいことだと思います。縁あって少しでも目を通してくださった皆様へ、心より感謝申し上げます。
言い訳しますと、そもそもブログの暴走が始まったのは、三作目の構想を練っていた最中のことでした。前作のときは恋愛色強かったので、そちら関連のエンタメに興味を引かれたのですが、今回は……ああ、もう、見事に再ハマりしてしまいましたという状況です。
このままでは本末転倒! 早く戻れ!
と、と、年明けの時点では、まだ古代ローマ関連の資料を読んだり読み直したりしていた、はず……。
さ、さ、三作目に生かしますから! この経験!(震え声)
◆予定:三部構成(当てにならない)。とあるパートばかり構想がふくらみ、とあるパートがまったくはかどらないという、現状。
◆目標:1、2年以内のアップロード。
と、掲げたうえで、5000越えユニーク御礼として、久しぶりのこぼれ話、そして即興の超短編を投下します。
【こぼれ話】(三章-1の末尾にあった部分。主に視点上の理由でカット。今となっては上手くつながらないかもしれません)
「すまない」
カルヴィヌスは詫びてきた。
「君はやはりお父上にそっくりだよ」
そこへメッサラ・コルヴィヌスがやってきた。皆自室に引き取ったはずの食堂で、宴もたけなわのような大声が聞こえてきたからだろう。彼はファルサロスの副将に大笑いされているティベリウスを見つけた。
「こらこら」
しばしあ然と立ちつくしてから、メッサラは顔を引き締めて近づいてきた。
「まだ起きていたのか、ティベリウス。お話をうかがいたいのはわかるが、こんな遅くまでカルヴィヌス殿をわずらわせるんじゃない。無礼になるぞ」
「…すみません」
ティベリウスは立ち上がった。それからカルヴィヌスにひときわ丁寧に礼を述べ、晩餐の余韻の邪魔をしたことを詫びた。
「おやすみ」
ティベリウスが立ち去ると、メッサラは傍らのカルヴィヌスに目線を落とした。
「どう思います? あの子が名将になれる見通しは?」
カルヴィヌスはティベリウスが去った扉口を見つめ、いつまでもにやにやしていた。
「この一週間、あの子は私を質問攻めにしたが、一つだけ訊かなかったことがある」
「それは?」
「自分のことだ。あの子はこの私に、自分が優れた将軍になれるかどうか一度も問わなかった」
【書き下ろし、超短編】(本編第4章終了後の、後日談)
「サルディニア島に行くぞ!」
「ぐえっ」
ルキリウスはうめいた。振り向かなくてもわかったが、自分が待っていたはずの一人に背中からのしかかられていた。ぼんやりしていた自分が悪いのだが、突進してきたうえで重みのすべてを委ねてくるとは、八歳であろうと、公の場でなんらかの非難を受けるべきだと思った。肺をつぶされ、腰を折られ、膝頭を肩にめりこませてから額を地面にこすりつけそうになった、そんなルキリウス・ロングスにはなんの罪もない。
しかしドルーススはそんな被害者に頓着していなかった。彼はさらにルキリウスの背中でばたばた動いたのだ。
「カエサルから手紙が来たぞ! ぼくらはそこで冬を越すんだぞ!」
「……へぇ……」
ルキリウスはなんとか相槌を打った。今は九月の初め。少し前に、この世界の中心であるらしきローマには、とある知らせがもたらされていた。
ローマ軍、エジプトのアレクサンドリアを完全制圧。将軍マルクス・アントニウス自害。
不思議な話だと思った。敵将もまたローマ人で、彼と共に戦った仲間たちの多くもローマ人だったに違いないのに。
とにかく、ルキリウスはドルーススの話を懸命に理解しようとした。
「……ひょっとして、君はサモス島のことを言っているのかな?」
「かもしれない」
ドルーススは無邪気に認めた。ルキリウスは彼を肩越しに見やった。
「以前にも君は間違えた。それでぼくは君の兄上にたわ言だらけの手紙を送らなきゃいけなくなった」
「あにうえもいるぞ!」苦情を無視し、ドルーススは飛び跳ねた。「もうすぐ会えるぞ!」
そうらしかった。もう一年半ほどカエサル・オクタヴィアヌスの軍についていったきり帰ってこないドルーススの兄――ティベリウス・クラウディウス・ネロもサモス島の冬営地に戻るだろう。
「よかったね」ルキリウスは言った。本当にそう思ったのだ。
「明日、出発する!」輝く顔で、ドルーススは教えた。「あにうえの誕生日に間に合うように!」
当然のように、ルキリウスは知っていた。ティベリウスの十二回目の誕生日とは、十一月十六日だ。まだ二ヶ月と少しあるが、それでもサモス島ははるか東の彼方だ。おそらく旅はカエサルの妻リヴィアが取り仕切り、そこへカエサルの姉オクタヴィアも同行するのだろう。そうなるとリヴィアの次男であるドルーススばかりでなく、オクタヴィアの大勢の子どもたちも従うはずだ。
ユルス・アントニウスも行くのだろうか、とルキリウスは考えた。マルクス・アントニウスの次男だ。こういう結末をずっとずっと予期していながら、オクタヴィアの保護下で暮らしてきた少年だ。今日も、ルキリウスが名目上待っていたのはドルーススであるが、実際に待っていたのはユルスのほうだった。まだ家から出てくる気配はない。
いずれそういうことになるなら、ぼくはとうとうお役御免というわけだ。ルキリウスはそう思った。二年前の年の暮れに引き受けることになった、ティベリウスとの約束だった。
だが、ドルーススが言った。「お前も行くぞ!」
「……なんだって?」ルキリウスは思わずぽかんとした顔を向けた。
「お前もサモス島に行くんだぞ!」ドルーススはくり返した。
ルキリウスは信じられなかった。「ぼくは君らの家族じゃないよ。素性不明の、『へんなやつ』だよ」
ドルーススと話すようになって一年近くなるが、ルキリウスはまだまともに自分の名前さえ伝えていなかった。貴顕中の貴顕であるクラウディウス・ネロ家のお坊ちゃんにしてみれば、自分など取るに足りない庶民にすぎないと知っていた。
『へんなやつ』とは、兄の物まねをするルキリウスをドルーススが呼ぶ名で、不幸にも、この一年半でティベリウスから彼に届けられた唯一の手紙にも、同じ宛名が記されていた。皮肉以外のなんでもなく、ルキリウスはティベリウスが帰ってきた場合の身の行く末を色々と考えてしまった。ぼこぼこかな。八つ裂きかな……。
「メッサラ家のマルクスも行くぞ」ドルーススは知らせた。
「彼は父親に会いに行くんだろう?」ルキリウスは指摘した。マルクスの父親メッサラ・コルヴィヌスが、将軍の一人としてカエサル軍に参加しているのだ。「ぼくは行かないよ。行く名目がない」
「船があるんだろ!」ドルーススが思い出させた。ロングス家の稼業のことを言っているのだとわかった。いつ話したっけか……。「ぼくが乗ってあげてもいいぞ!」
ルキリウスは思わず微笑んだ。「光栄だけどね、ドルースス。君みたいな良き家柄の子どもを乗せて浮いていられる船じゃないよ」
第一、ドルーススの母親が許すはずがなかった。ルキリウスはドルーススへ首を向け、あらためて言った。
「ぼくは行かない。ここで待ってる。君の兄上にはよろしく伝えておくれ」
すると、ドルーススは見る見るしょんぼりと眉毛を下げ、背中の上でぶーっと頬をふくらませた。なんだよ、もう……とルキリウスは苦笑する。ようやっとあにうえに会えるんじゃないか。君がどれだけ恋しがっていたか、ぼくは知っているぞ。それなのにその顔はなんなんだよ。
ぼくは君の友だちじゃない。君の兄上に頼まれたから、そばをうろうろしていただけだ。それも頼まれた対象は、君じゃなくてユルス・アントニウスのほうだ。君に絡まれる羽目になったのは、ぼくのドジだったんだ。
君のためじゃないんだよ、ドルースス。ティベリウスのため……いや、ティベリウスに頼まれたぼくのためなんだ。
だから、そんな顔をするなよ。
「言っておくけど、無事に帰るまでが遠征だからね」腰をひねり、ドルーススの頭をとらえて撫でまわしながら、ルキリウスはさも気楽に言った。「君も気をつけるんだよ、ドルースス。アントニアたちとはしゃぎすぎて、迷子にならないように。海に落っこちたりしないように」
「お前はあにうえか」ドルーススが言った。それからルキリウスの腹に頭を埋めてきた。「一緒に行こう」
「行かないよ」
「お前をあにうえに会わせたい」くぐもった声が言った。
ルキリウスは苦笑を引っ込めることができずにいた。「君は可愛いな、ドルースス」
こんな子どもと一緒にいると、つい素直な言葉が口をついて出る。なるほど確かに、あのティベリウスがだれより愛してやまない弟だ。もう胸が苦しくなるくらい、よくわかっていた。
それでも、とルキリウスは言い張るのだ。「ぼくは命が惜しい」
「食べられちゃえよ。お前なんか、あにうえの顎で噛み砕かれちゃえよ」
それが、弟が決めた物まね師に対する処刑法らしかった。ルキリウスは身震いしてみせた。それから言った。
「とにかく、無事で帰ってこいよ」
すると、ドルーススは拳を突き上げてきた。危うく顎に一撃くらうところだったが、見ていると、小さな拳がゆっくりと開かれていった。中からは小さな銀色の光がこぼれ出た。
「お前に」ドルーススが言った。
「ぼくに?」ルキリウスは目元をしかめた。
「あにうえからだ。手紙の中に入ってた」
それは、銀貨のようだった。ただし鋳型が使われたにしては、独特の模様をしていた。片面になにかの鳥の図柄、もう片面には文字が刻まれていた。ルキリウスはドルーススのしめった指からそれを受け取って、適切な距離から読んでみた。
『ルキリウス、ぼくはこれから帰る』
それだけだった。
君はぼくの夫か……とは、真っ先に思い浮かんでしまった指摘だった。けれどもかろうじてそれを呑み込み、つくづくと眺める。思いめぐらす。
ルキリウス、と名前だけで呼ばれたのはたぶん初めてだ。必要なときはいつも「ルキリウス・ロングス」と、罪人に刑を宣告する冥王のような口調で呼ばれたものだ。
これはいったいなんだい、我が愛しき友?
ルキリウスはその銀貨へ問いかけた。澄み渡る青空へかざしてみながら、不気味と言っていい胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。
それでも、君がようやく帰るというのなら、ぼくは待つ。いつまでも待つ。それが、君とぼくとの約束だ。
ルキリウスはただ一つの銀貨を握りしめた。
飛んでいけ――。