A.Banana.S

古代ローマ、NACSさん、ドートマンダーにパーカー、西武ライオンズ、FEプレイ日記(似非)・・・好きなことをぽつぽつと。

平和の祭壇と東方の女王①

 

ようやくいくらか勉強スイッチが入った気がします(遅いって。もうTOEIC2週間切ってるから)。まあ、年明けあたりまで粘るつもりでほどほどにがんばります。

 

さて、今日の記事はいつにもましていいかげんで無責任で空想入り乱れていますので、あまり当てになされないようご注意願います。

 

古代ローマファンがよく知る『平和の祭壇(ara pacis)』。そこにはアウグストゥスの家族をはじめ、当時のたくさんの人々が彫刻されていることで有名です。気になるのはどれがだれなのかですが、これは現代でも識者のあいだで意見が分かれ、確定には至っていないようです。確定しなくてもいいのでしょうけどね。

 

例えば南面の浮彫、こちらにはアウグストゥスを含む、ローマ史に名を残した有名人が数多く登場します。

 

例えば塩野先生の著作ですと、

まずアウグストゥスのあと、やや間を置いて、

①アグリッパ②ガイウス・カエサル少年(と、その頭を撫でている女性)③リヴィア④ティベリウス⑤ユリアとルキウス・カエサル少年⑥ドルースス⑦女性(アントニア姉妹かオクタヴィアかヴィプサーニア)と子どもたち

と、なっております。

 

ですが私も『平和の祭壇』訪問し、ほかの資料にも目を通したのですけれど、そこでは

⑤小アントニア⑥ドルースス

とされておりました。

 

私も個人的に、あの⑤女性と⑥男性の見つめ合う様子からして、ドルースス&アントニア夫妻説に傾きます。ラブラブにしか見えないんですよ、もう。となると、⑤の女性と手をつないでいる可愛らしい幼子は、二人の愛児ゲルマニクスと考えるのが自然でしょう。

『平和の祭壇』は着工が前13年、奉献が前9年とされております。

ゲルマニクスは前15年生まれなので、一連の人々の中でとくに幼く彫られているのも筋が通ると思います。

すると、⑦の女性は小アントニアの姉の大アントニアで、その手前にいる子どもたちは、彼女とドミティウス・アヘノバルブス氏の息子かなと思います。ドルースス叔父ちゃんのマントつかんでいる様子がなんとも愛らしい・・・。まぁ、私の勝手な推測ですけれども。

 

では、アウグストゥスの娘ユリアはどこにいるのか。

②のガイウス・カエサルの頭を撫でている女性。彼女をユリアとしている資料を読んだことがあります。私もこれが妥当かと思います。ほかの登場人物より控えめな立ち位置で彫られていますが、アウグストゥスも自分の実の娘だからと、遠慮してのことだったのかもしれません。

皇帝の息子(孫)の頭を撫でるなんて、家族でなければなかなかできないことでしょうからね。

 

まとめますと、

①アグリッパ②ガイウス・カエサルとユリア③リヴィア④ティベリウス⑤小アントニアとゲルマニクス⑥ドルースス⑦大アントニアと子どもたち

となります。

 

ところが、②の少年がガイウス・カエサルではないとする説がございます。

 

確かにそうなんです。私も最初に見た時に思いましたが、②の少年、ローマ人っぽくないんですよね。まず髪が長い。私も詳しくないのですが、アレクサンダー大王っぽいヘアスタイルといいますか、ヘレニズム風とでも言うのでしょうか、とにかく周りのローマ人たちと比べて髪型が違う。

そしてブッラをつけている様子が確認できません。ブッラは、ローマ少年が成人まで身に着けるというお守りなのですが、この少年はそれを首から下げていません。

浮彫に登場する子どもたちも、身に着けていないほうが多い様子なのですが、先にゲルマニクスとした少年は、しっかりブッラを下げています。

 

ガイウス・カエサルアウグストゥスの孫で、アグリッパとユリアの長男)は、『平和の祭壇』の別の場所に彫られているという説があります。そして母親のユリアも同じく別の場所にいるかもしれないとのことです。

 

では、この②の少年はだれなのか。その頭を撫でている女性はだれなのか。

 

ガイウスが、ただヘレニズム風の格好をしていたのかもしれません。

あるいはガイウスではなく、他国からローマへ来た「人質」の子なのかもしれません。ちなみにアグリッパのトガをつかむ可愛らしい様子で描かれています。

 

さてそこでですが、私はある日、とあるサイト様を発見しました。「Dynamis, ara pacis」で検索すると今もヒットするのですが、なぜかもう私のPCではページを開けなくなってしまいました。しかも英文です。したがってこれから書くことは、以前に読んだ記憶と、私の危うい英語力による解釈とお考えください。著者の記述を正確に反映できてはいないと思います。

 

まずDynamisとはだれか。

 

塩野先生の著作にも、名前を出されず、一文だけ触れられているのですが、アウグゥトゥス時代に実在した、ボスポロス王国(おおむね現代のウクライナ)の女王です。

 

先のサイトでは、②の浮彫はこの女王デュナミスとその息子ではないか、そう書かれていたと記憶しています。

 

長くなりますので、いったん切ります。