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古代ローマ、NACSさん、ドートマンダーにパーカー、西武ライオンズ、FEプレイ日記(似非)・・・好きなことをぽつぽつと。

2014/08/21 スペルロンガ 皇帝の別荘を訪問その2

 

仕事はしていますが、精神が休眠状態のこのごろです

 

さて、日が空いてしまいましたが、去年のイタリア旅行の前半で最も印象深かった場所について書かせていただきます。

 

まず、スペルロンガとはなにか。なぜ訪問しようと思ったのか。

この場所は、日本のガイドブックにはまず載っていないでしょう。けれども8月のあの時期は、各地から訪れた観光客でごった返していました。ティレニア海を臨むこの町に、ティベリウス帝の別荘の遺跡があります。

帝の別荘といえばカプリが有名です。ではスペルロンガの別荘とは? ここなにがあったのか、それは読み知っていましたが、まさかその場所がほぼそのまんま残っているとは思いませんでした。

帝がカプリに引っ込む、その道中でした。彼とそのご一行はこのスペルロンガの別荘に立ち寄り、宴を催しました。屋敷の中でではありません。その傍らの、海水の流れ込む洞窟の中でです。

その洞窟が残っているんです・・・!

 

タキトゥスの『年代記』、スエトニウスの『ローマ皇帝伝』にも載せられている出来事です。それによれば宴の途中、突然洞窟の天井が崩れました。奉公人の何人かが押しつぶされ、ティベリウスも危うく命を落としかけたとのことです。スエトニウス先生の記述のほうがだいぶ大げさに見えますが(『巨大な岩石が大量にーー』など)、出来事は実際にあったのでしょう。タキトゥスのほうは『洞窟の入口が崩壊』と書いていますが、そのときかの悪名高いセイヤヌスが、ティベリウスに覆いかぶさって彼をかばったそうです。そのことで帝はセイヤヌスをますます重用するようになったと言われていますが、果たしてそれはどうでしょうね・・・。

タキトゥス自ら書いていますが、セイヤヌスは自分が皇帝をかばう姿をあからさまに他人に見せつけています。この種の行為に阿諛追従が大嫌いで知られるティベリウスが動かされるとは思いません。色々考えると長くなってしまいますが、この段階では自分のカプリ隠遁にセイヤヌスは欠かせなかったので、どのみちもうしばらくは使うつもりでいたのでしょう。

 

とにかく、その洞窟がまだあるのです。そこへ行くことが、この旅の第二の目的でした。

 

きっかけは、『BBC地球伝説』でしたね。レポーターのお兄さんの語りたるやそれはそれは頭にきましたが(「落石でティベリウスが死ななくて、がっかりした人もいたでしょうね。なぜなら彼はとても残忍で冷酷な皇帝だったからです」とスエトニウスの本を片手に、おっしゃいました。ええ、はい、塩野七生先生の著作を読むまでティベリウス帝のことを知らなかった私などに、腹を立てる資格はないでしょうけれど)、けれども結局彼のおかげですね。この場所がまだ残っていることを知り、これはぜひとも訪れなくてはと思い立ったのは。

が、これは私には相当ハードルの高い旅となりましたよ。なにしろガイドブックに載ってない。ネット上でもほとんど情報を見つけられない。頼みになる地図はグーグルでプリントアウトした、なんとも大ざっぱな地図のみ。

それでも「旅プラザ」の担当者様が、私に教えてくださいました。まずテルミニ駅からロローカル線でfondi sperlongaという駅に行く。そこからバスでスペルロンガの中心部へ向かう。

地図上、スペルロンガの中心部に着きさえすれば、なんとか目当ての遺跡まで、その遺跡を管理する考古学博物館まで、行けるはずでした。なにしろ洞窟は海辺にあるのですから。そう、海岸をひたすら南へ歩けばいいんですね。このとき私は平面上の地図しか見ておらず、坂や丘などの立体面の実際を考えていませんでした。

でもまぁ、迷わないだろうと思ったんです。問題はfondi駅に着けるか、そこからバスに乗れるかです。

朝、ゆっくり起床。朝食は、前日に買っておいたスーパーのお惣菜。出発。テルミニ駅の自販機で切符を買うことに成功。続いて正しい列車に乗ることに成功。さらに乗り過ごすことなく、fondi駅で下車に成功(帰国後思ったんですが、イタリア語の数字のヒアリングを練習しておいてよかったです。駅の放送で、ほぼなにを言っているかわからなくとも、列車番号だけは聞き取れたりしましたから)。

さて今度はバスです。どこがバス停なんだ、見つかるのかとハラハラドキドキ・・・でしたが、これは心配するまでもありませんでした。なぜなら私と同じようにバスを待つお客がたくさんいたからです。ただしその方々すべてが、一目でわかりましたが海水浴客でした。日本人はおろかアジア系の人は一人も見当たらなかったので、おそらくイタリアの国内かユーロ圏からバカンスを楽しみに来た方々だったのでしょう。私はまんまとその方々に混じって並び、無事バスに乗りました。

さて次の問題は、どこで降りるかです。まずどこで停まるか、どこまで行くかからしてまったくわからないという、恐るべき状況。ここで私が取り得た手段は一つ、みなさんと同じ場所で降りるということでした。

ぎゅうぎゅう詰めだったバスがたちまち空きました。私もほかの海水浴客たちとともに下車し、そして途方に暮れました。大ざっぱすぎるグーグル大先生の地図をにらみます。ここどこよ、と。

しかし少なくとも海は見えます。これが重要です。あとは向かって左に歩きさえすれば、遅かれ早かれ洞窟に着く、それはわかっています。あとは体力勝負です。

 

日本の夏を知っているので、猛暑とまでは言えませんでしたが、暑い日でした。私は歩きはじめました。そしてまもなく目にした光景が、こちら。

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彼方に、見えるでしょうか。私には見えたのです、例の洞窟が。やばい、遠い、と思いながらも、ティベリウスが確かにいた、まさにその場所をとうとう目にしたことを励みに、私はこの浜辺ただをひたすら歩いたのです。大勢の海水浴客のあいだを縫いながら。ときにはほかのどの海水浴客よりも波打ち際を歩きながら。それはそれは浮いていたことでしょう。水着を着ていないアジア系女が独りきり、前だけにらんで必死の形相でずんずん進んでいくわけですから。泳ぐ気配すらないのですから。

しかし洞窟が近づいてくるたび、私は奮い立ちました。もうすぐ、もうすぐティベリウス帝に会える・・・! そんなことさえ考えていたのです。

が、そこではたと立ち止まりました。このまままっすぐ進むのはいけない。洞窟は博物館の管理になっているわけだから、直接入れるわけではないだろう。まずは博物館にいかなければ。そのためにはいったん浜辺から上がらなけば。

この判断は正しかったのですが、結果私はなぜかキャンピングカー村で迷子になるという事態に陥りました。もう、迷路でした。出口が見つからない。体力が削られていく。なんだあの人、みたいな目でバカンス客に見られる。明らかに不審人物だ。あるいは迷子そのものだ。どうしよう・・・。

結局なんとか迷路の出入口らしき場所にたどり着き、そこにいたおじさんに博物館への道を尋ねました。もう坂を上ってすぐのところでした。

かなり歩きました。へとへとでした。しかしだからこそいっそう到着は感慨深いものでした。

 

博物館はこじんまりとしていて、静かでした。私のほか観光客は二人ばかりでしたか。それにしてもこの博物館が、ただティベリウスの別荘のためのそれであるというだけでファンにはたまらない存在ではないですか!

はやる心を押さえ、まずは自販機で休憩・・・しなければたぶんくたばっていたでしょう。それからあの腹立つBBCのスエトニウス信者お兄さんが紹介していた巨大彫刻の前へ。ホメロスの『オデュッセイア』の一場面、オデュッセウスと仲間たちが一つ目の巨人を倒す、まさにその寸前です。ティベリウスはこの彫刻を、洞窟の真ん中に据えていたらしいです。

 

「まさに残虐な皇帝ティベリウスらしい演出です」

 

・・・ってお兄さん、ちょっと待って! その巨人さんね、オデュッセウスの仲間を何人か食べちゃってますからね。それにしたって目を突き刺す一歩手前でしょうが。神話の世界なんてもっと残虐なシーンでいっぱいで、古代人はみんなそれを読んで聞いて、慣れ親しんできたんでしょうが。だいたいね、長年ローマ防衛の最前線に立ち続けてきた将軍に、この彫刻のテーマくらいで残虐だなんだとおっしゃるのは変な話ですよ・・・。 

とまぁ、胸中で突っ込みまくったのはこれより前の話で。実際に目の前にしたその巨大彫刻の迫力はすごいものでしたよ。教えてくれたお兄さんには感謝しています、本当に。ああ、やっぱりティベリウスは皇帝なんだな、貴族なんだな、と実感しました。お兄さんに同調するわけではないですが、やはり一般人が作らせてやることではないですからね。

 

見学しつつ休憩しつつ、パワーを充電したところでいよいよ本願、別荘の遺跡へ向かいました。博物館を出て、浜辺へ下りていきます。

私はここで不思議な体験をしたように思います。書くのが恥ずかしいのですが、なんというか、ティベリウス帝と実際にお話ししたような・・・。

日本語通じるわけないんですけどね!

一人きり浜辺の道を下って行きました。花をめでながら、木の実をつぶしながら。

遺跡のあとははっきり残っていました。どこがどの部屋か、その種の知識に乏しい私にはわかりかねましたが、想像はできました。ここが確かに、ティベリウスのいた家なんだと。

不思議なことに、数年前にカプリを訪ねたとき以上に、その実感は強かったです。ここが彼の家なんだ。ここにこうして足を踏み入れたんだ、と。

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以来、今に至るまで、この不思議な感覚は消えていません。

そして念願だった、例の洞窟に入ることができました。これがきっとおよそ2000年前、ティベリウスが実際に見ていた景色。

 

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 おいおい、崩れてきやしないだろうな!? とここに入ってからようやくその可能性に思い至ったのですが、はい、大丈夫でした。

 来てよかったです、本当に。かなうならずっといたかった。それくらい胸にくる、心身が打たれる体験をさせていただきました。月並みな言葉ばかりつらねますが、一生忘れないでしょう。このスペルロンガで、ティベリウス帝に迎えられた気がしたことを。

 そうして二時間ほどいたでしょうか。正確には覚えていません。

 

さて、感動も大事ですが、私の中の臆病で心配性でそれでも生存にはたぶん欠かせない慎重な部分が、警告するのを忘れませんでした。感動もいいが、体力を考えろよ? どーするんだ? これからどーやって帰るんだ、ええ? またキャンピングカー村をさまよって海岸を逆走か。そんなスタミナ残っているのか? 海岸をもとの場所まで戻ったとして、fondi駅までのバスには乗れるのか? さすがに駅まで歩くのは無理だぞ・・・と。

 

そこで私は、到着したとき笑顔で迎えてくださった博物館の女性に 尋ねてみることにしました。お友だちらしき方々と談笑しているところへ、恐る恐るお邪魔しました。念のためイタリア語で同じ内容を紙に書き、「fondi駅へ行くバスにはどこから乗れますか?」と。

 

話は通じました。どうも博物館のすぐ前がバス停で、そこからバスに乗れる――そう教えてくださったようでした。・・・ということは、あとで考えたんですが、来るときもみんなと同じ場所で降りず、あのまま乗り続けていたら普通に博物館へ到着できたのでは・・・。確かめていないのでわかりませんが。

 

というのも、結局私はバスに乗らなかったんです。なぜなら女性と談笑していた男性がこうおっしゃいました。「オーケー、ぼくもこれからfondi駅に行くところだから、車で乗せていってあげるよ」

 

信じ難い幸運でした! いや、きっと男性は不安そうにしていた私を気遣い、あえてそう申し出てくれたのでしょう。

日本なら、まず初対面の男性の車に乗り込むという体験はないと思います。けれども私は、このまごうことなき善意に有難く甘えさせていただいたのでした。もうどう感謝していいのかわからなかったです。

以前の旅でも、私はカプリ島で、二日続けて偶然同じおじさんと港で会い、コーヒーをごちそうになり、キスを交わして別れるいう、日常ならざる体験をさせていただいたものでした。この対人恐怖症傾向の引きこもり女がですよ。

ほかにも荷物を棚に上げるのを手伝ってくださったり、あちこちで道を教えてくださったり、イタリアの方々にはお世話になってばかりでした。

旅先で、こうして思いがけず親切にしていただいた思い出もまた、一生忘れないでしょう。ただ、好意の受け取り方、そしてお礼の仕方がわからないのが、外国にいても日本にいても困ったところです。もしも日本でだれか困っている方に出会ったら、勇気を出して声をかけることができればと思うのですけどね。力になれるのか、自信なさゆえ躊躇してしまうことばかりに思え、反省です。

 

うれしいやら申し訳ないやらで胸がいっぱいになりながら、博物館をあとにしました。

 

私のイタリア語が不自由だとすぐわかった様子で、男性はすぐ英語で話してくださるようになりました。それでも私のリスニング力不足とイタリア訛りが相まってか、なかなか聞き取りに苦労しましたが。彼はナポリ近郊の博物館を「オーガナイズしている」と話していました。各博物館の運営に携わり、巡回してまわるお仕事なのでしょうか。

私はなんとか英語で、ティベリウス帝が好きでスペルロンガの遺跡を見るために日本から来たのだと説明しました。男性は驚いていらっしゃった様子です。そうですよね。このシーズン、海で泳ぐことに少しも興味を示さず、博物館だけを目当てに海外からやってきた客は、少なくともこの日は私だけだったでしょう。

私に話しかけながらわき見運転をなさるので若干ひやひやしましたが、すいすいとfondi駅まで送ってくださいました。

別れ際、男性は私にとても冷えて美味しいぶどうと、ホテルの名刺をくださいました。彼が経営しているホテルとのことで、次にこの地を訪れるときはぜひと行ってくださいました。私はもう帽子を取って日本式に深々とお辞儀をする以外、気持ちを伝えるすべを知りませんでした。

 

帰りの列車を待つあいだ、私は二日目のあの事態が嘘であるかのように体が軽かったのを覚えています。念願の場所を訪れたこと。そしてそこであたたかい厚意を受けたこと。私は恵まれている、有難くすばらしい世界に生きていると心から感じました。

心配ごとを全部忘れ、のびのびと自由な気持ちになり、十代の少女に戻ったように手すりにひょいと腰かけて足をぶらぶらさせながら、列車を待ったものでした。

 

ローマに帰ったあと、テルミニ駅でこの旅初のジェラートを生クリーム乗せで食べ、それから二日目とは別のセルフサービスレストランで夕食を取りました。相変わらず一人きりでしたが、満ち足りておいしい食事でした。

 

次の日は移動します。ローマからナポリへ向かいます。