A.Banana.S

古代ローマ、NACSさん、ドートマンダーにパーカー、西武ライオンズ・・・好きなことをぽつぽつと。

ティベリウス帝ファンの、ウェレイユス・パテルクルスさん

の、著作が邦訳されていることに、今年になってようやく気づきまして、二ヶ月ばかり前に購入しました。

…オーディオブックの『Get Real』を返品せざるを得なかったんですが、そのときのアマギブ(って言うんですね、初めて知りました。アマゾン・ギフトカード)を使って。

…いや、返品じゃなくて本当はちゃんと聞こえるやつと交換して欲しかったんですけど。でもケルプさんの大活躍シーンはなんとかかんとか――(その話はまた別のときに)

 

『ローマ世界の歴史』 

ローマ世界の歴史 (西洋古典叢書)

ローマ世界の歴史 (西洋古典叢書)

 

 

ええ、一応、最初の拙著を書く前に、英訳版を読んではいました。

ラテン語ギリシア語も勉強不足ゆえ読める域に至っていないのですが、それでもティベリウス帝の大ファンである彼の著作に目を通さずにはいられまい、と。

「いや、ラテン語に感嘆符はないんですけどね。なんだかつけざるを得なくて……」みたいな注釈かあとがきを目にした気が……。

 

ローマ人の物語』の塩野先生は、パテルクルスの本を引用する際、批判を加えてはおりませんが、彼の著作は「ティベリウス帝へのおべっか」と読まれることがあり、あまり評価が高くないようです。少なくともかのタキトゥス年代記』と比べたならば。また、謎の長すぎる会話&演説シーンがあることをさておけば、詳細このうえもないカッシウス・ディオの著作と比べたならば。そして読み物としてならば、かのゴシップのプロ・スエトニウス大先生と比べたならば。

 

タキトゥスは、ティベリウス大嫌い、むしろ帝政大嫌い主義者……であることを『年代記』の冒頭で上品に否定しておられますが、後世著作を読んだナポレオンが激怒したとかしないとか言われるほどの、「悪意」があるようにしか…。

歴史家・作家としての腕が一流であったからこそ、なおさら

後に同名の皇帝が登場しなければ、タキトゥスの作品は残らなかったという評もありますが、いや、それはそれで過小評価すぎるのでしょう。古代の作品が中世以降残るか否かは、無論運に拠るところも大きいですが、やはり優れた作品・興味深くて愛読された作品は、残る可能性が当然高くなるのでしょう。

タキトゥスの『年代記』を読んでいますと、ティベリウス・パートは「相手にとって不足なぁーーーーしっ!!」みたいな気合いを感じるのですが、次のカリグラ以降になると「…物足りん。ひと捻りなんだが」みたいな雰囲気を読み取ってしまうのは気のせいでしょうか。

実際、タキトゥスティベリウスをはっきり「有能」と書きます。なんなら「有能! 超有能! 無能なせいで失敗したことは一度もない」みたいなことさえ書いています。

…それなのに、なんでこう、冷たく厳しい書き方をするのか。

有能だけど、性格とやり方とあとなにより皇帝であることが気に食わない……ということなのでしょうか。

 

話を戻しますと、最初にパテルクルスの本(英訳)を読む前、私は「ティベリウスに批判的な本ばかりが実態に近いものとして重宝されるのなら、称賛している本をそれだけでおべっかまみれの信ぴょう性の低いものを見なすのは、不公平ではないか」と思っていました。

なにしろ、パテルクルスはティベリウスその人を直に見ているのだから。タキトゥスもスエトニウスもカッシウス・ディオも見ていないティベリウス本人を見て、その部下として戦役に加わっていたのだから。

いや、だからこそ、存命中の人、しかも権力者を悪く書けるはずがない、というのもわかります。タキトゥスだって『年代記』は憎きドミティアヌスが没した後で書いたでしょう。当人が生きているあいだに書く勇気がある人なんてほぼ皆無。おそらくドミティアヌス憎しの念が、かの人の尊敬する先帝ティベリウスを腕によりをかけてやっつけてやろうという意気につながったのでは。

だから、つまり、パテルクルスは逆に、時の権力者に取り入りたくて、書いた。

いや、しかし、くり返しますが、パテルクルスはティベリウスの配下の幕僚です。初代皇帝アウグストゥスが在位のときのパンノニア戦役を生き延び、将軍ティベリウスの労苦を直に見てきた人です。アウグストゥスの没年には法務官に推薦されたと書いていますから、元老院議員でもあった。およそ二十年、ティベリウスを見ていた人です。

そんな人の言葉を「阿諛追従」のひと言で片づけては、あまりにも公正でない。

そりゃあね、普通の人間がプロフェッショナル・タキトゥスに文章力でかなうはずがありません。

ましてパテルクルスは、友人の執政官へ捧げるために著作を書いた。それを素直に取るならば、彼の本はある意味「内輪」の作品だったのでは。実際パテルクルス自身、「正式の著作はあとで書くから」という断り書きを、何度か入れています。作家業において、まだ自分がアマチュアであることはわかっていた。

したがって、本の文章レベルにおいてタキトゥスに及ばないからといって、時の権力者への称賛にあふれているからといって、パテルクルスの本の内容の信ぴょう性をすべて疑って顧みもしないのは、どうなんだ……。

そう思っていました。

 

 

で、前置きが長くなりましたが、いざいざ実際に英訳を読んでみたときの、個人的所感なんですがね。

 

 

「……あ、ああ、うん……、テンション高いな、この人」

 

 

内心:(これ、おべっか大嫌いのティベリウスがもし読んだら、逆に気を悪くして粛清されるんじゃない…?)

 

 

という、前置きまでの弁護がちょっと(?)揺らいでしまうような感を抱いたものでした。

 

パテルクルスの消息は、後29年でぷつりと途絶え、以後どの人も彼に言及することがありません。

友人ウィキニウスの執政官職が、後30年。

そして後31年が、かの悪名高いセイヤヌスが粛清された年です。そのセイヤヌスを――元老院ではすでにかなり嫌われ者だったセイヤヌスを、著書の中でかなり称賛していたのがパテルクルスです。だから、彼はセイヤヌス派として巻き添えで粛清されたのでは、という見方が有力とされます。

いや、しかし、まあ……セイヤヌスが、やったことをさて置けば(※置けないレベル)、側近として有能だったのは間違いないですし、性格も、友人らに対しては快活で面白かっただろうとも思います。

有能だったからこそ、ティベリウスはぎりぎりまで重用した。

パテルクルスにしてみれば、同じ年頃で、あちこち一緒に随行して歩き、同期の出世頭みたいだったセイヤヌスに対して、称賛する要素はいっぱいあったのでしょう。

そして自分としても、法務官の次は執政官になりたいと、野心を抱くのもまた当然。

だからといって、著作に嘘八百の阿諛追従を書いたわけではない。

 

……が、それにしてもテンション高いな、この人。感嘆符つけまくらざるを得なかった英訳者の気持ちがわかる気がすると言いますか。アウグストゥスの最期を看取るシーンには、「beloved Tiberius」と。

 

おべっか大嫌いのティベリウス、さらにセイヤヌスの粛清直後だったことを考えると、パテルクルス巻き添えの可能性は低くはないと考えざるを得ない。

というか、そもそもどこまでがティベリウスの命令の粛清だったのか。元老院が勝手についでに処刑してしまった人もいたんじゃないか。そして責任/咎は全部皇帝にいく……。

 

しかししかし、ともかく、ちょっとパテルクルスの熱烈さに引いてしまったところもあったこの一読者ですが、やっぱりありがたいというのが第一。だってなにしろ、何度でも言いますが、この人はティベリウスを直に見た人なのだから。総司令官用の輿も使わせてもらって、凱旋式にまで参列した人なのだから。

もう私、生まれ変わったらマジでパテルクルスになりたいんですが(時を大逆行)。粛清?されてもいいです。しゃーない。きっと悔いはない。

できることなら、「正式の著作」という名のティベリウス帝への盛大なラブレターを書き殴ってから逝きたい、というぐらいか。

 

パテルクルスに文句があるとすれば、本当にもうどうして「正式の著作」を書かなかったのか、後代に残らなかったのか、という一事に尽きます。

あなたが書かないで、だれが書くの!? 

 

ティベリウス様という人はね、「〇〇の会戦」みたいな一発勝負の決戦の機会に恵まれず、ひたすらゲリラ戦法の敵という最も困難な相手と戦い続け、ために将軍としてきわめて優れているのに後代の歴史では顧みられず、歴史マニアたちが「名将といえば?」なんて語り合うときにはまず取り上げられることがないという不運に遭っているのですよ。(たぶん、あの方にはそれはどうでもよいことでしょうけど)

だからっ! パンノニア戦役をその真っ只中で見てきたパテルクルスさん! あなたが書かないで、だれが書けるというんですか!?

ただでさえ、VSゲリラ戦法の蛮族だからか、戦そのものが詳細に語られている資料が少ないんですよ。でも、あなただったら書けるでしょう! 書いて! タキトゥスにかなわなくていいから、とにかく書いて! できるだけ長く詳しく書いて!(強要)

 

……それでも、まあ、書いてくださってはいます、もちろん。ただ、もっと書けると思うし、本人にも書く気はあっただろうに、と。

その前にやはり粛清されてしまったんでしょうか…。だとしたらティベリウス様、もったいないことを……いや、かの帝の御心を思えば、粛清したくもなるかもです。

 

カッシウス・ディオは、タキトゥスやスエトニウスのように、ティベリウスへの(噂、妄想込み込みの)批判はしていませんが、かの人が非常に難しい性格だったということは記しています。なんというか、親しい人へほど非情で、距離が遠い人へほど思いやりがある、というような。要は、本当に自分にすり寄ってくるおべっか使いが嫌いだったんでしょう。人間不信がひどくなってからは、まして。

 

 

そして、肝心の邦訳版でございますが、私が最初に感じた英訳版よりは、テンションを押さえられているように感じました。案外、控えめ。読みやすい。そして、トロイヤ戦争から後29年までの歴史を、一冊の本にまとめて形にできているとは、パテルクルスもまた一種の天才ではないかと思うのでした。簡潔明快に要約できるのもまた才能でしょう。しかもその作品が、評価はともかく後世に残るのだから、つくづくうらやましい……。

 

ちゃんと「正式の著作」を書いてよ!と言いながら、わたくしめは、残っているこの著書も英訳版でちゃんと読んでいたか怪しいという事実。(オマエ、いいかげんにしろ!)

 

たとえば、ティベリウス将軍御年49歳、「自ら武器を取って」バトルinパンノニア戦役

 

やめて! ティベリ様! さすが! ティベリ様! アラフィフだろうと総司令官だろうと皇太子だろうと自ら敵とバトル!

部下のパテルクルスさんが見ていますよ、ティベリ様! 自分の輿を彼に貸してあげて、代わりに参戦ですか! アウグゥトゥスが知ったら卒倒ものではないのですか、ティベリ様!?

 

そういえばですがティベリ様! スエトニウス先生が書いておられましたが、御年77ぐらいのときに、槍投げしたって本当ですか!? それで腰を派手に痛めて死の床に伏せったみたいな流れになっておりますが、どれだけ体力に自信があったのですか、ティベリ様! 引きこもりなのに!!(←)

年を考えてください、ティベリウス様!!!

 

……また話が逸れました。でももしこれが事実だとしたら、勝手ながら、ちょっとした晩年の救いに思えます。人前で槍投げするくらいには、お元気でいらっしゃった。

 

さて、戻りまして、パテルクルスの著書の信ぴょう性についてですが、

たとえば、塩野先生も取り上げていらっしゃる、ティベリウスの軍務復帰の場面。歓喜した部下たちが叫びます。

アルメニアで、ラエティアであなたと一緒でした」「ウィンデキリアで、パンノニアで、ゲルマニアであなたから勲章を受けたのです」

……アルメニアは20年以上前です。そのとき新兵だったとして、このゲルマニア遠征時代にはとっくに退役していなければならない。

パテルクルスは将軍ティベリウスの経歴を引いて、ただ称賛のために並べたのでしょうか。それとも実際に、遠征の道すがら、植民市から退役兵たちが駆けつけたのでしょうか。あるいはもしや退役兵たちまでが召集された遠征だったのでしょうか。もしやローマ軍団兵ではなく、補助兵だったのか(兵役25年)。それとも、後にそれが一因で反乱が起こるように、実は退役時期になっても退役できなかった兵たちがいたのでしょうか…。

 

真相はわかりかねますが、私にはパテルクルスがわざわざなかったことを書いたとは思えないのです。きっとティベリウスの現場復帰を兵たちが喜んだのは事実。パテルクルスにしてみれば、初めてティベリウスの下についた時です。そこでその将軍がどれほどの感激で迎えられているかを見て、彼もまた感激したに違いない。

軍人としての彼が書いたティベリウスの姿は事実であった。上官が有能かどうかは部下の死活問題のはずですから。続くパンノニア戦役、さらにはテウトブルクの惨劇のあとのゲルマニア――それによってパテルクルスは、ティベリウスへの絶対の忠誠と崇拝心を抱いたのでは。

少なくとも軍人としての彼は、信じたい。

 

あと、マルケルスのことを「陽気な」、弟のドルーススのことも同様に(英訳版ではどちらもcheerfulだった気が…)書いていながら、ティベリウスに対しては絶対に同類の形容詞を使わないあたり、やはり信頼できると思いませんか。もしもティベリウスを「明るく陽気で、だれにでも気さくに話しかける人だった」「笑顔が絶えず、愛想の良い人だった」なんて書いてあったら、もうアウトですけれど。

邦訳では、ドルーススのことを「体の美しさ」(英訳:personal beauty=肉体・容姿の美しさ)だけがティベリウスに次ぐ、と書いてあったので、弟と比較してティベリウスがイケメン(←)であったことを、パテルクルスは記しています。(が、たぶん彼はドルーススのことは直に見ていない)私も以前、ローマ史を知らない知人男性に、だれとも言わず平和の祭壇にあった胸像などを見せたことがあったのですが、ティベリウスの像を「彼、イケメンですね」と、その方はおっしゃいました。極めて愛想がないので女性人気はなかったそうですが、ティベリ様は容姿がまこと一級であったとみて間違いない…。だからパテルクルスはなにも間違っていない…。

 

歴史を実に簡略に描きつつも、人物評もどんどん書き込んでいったパテルクルスですが、アウグストゥスの孫のガイウス・カエサルのことを、ちょっとだけですが、批判的に書いています。すでに亡き人とはいえ、カエサル家の人であっても。

彼がカエサル家関係者以外でとりわけ絶賛していたのは、キケロでしょう。欠点はすべて無視で、このうえもなく尊敬しているのがわかります。作家としての彼の究極の目標、あるいは手の届かないほど崇める存在だったのかもしれません。

 

だからマジで正式の著作を書いてくださいよ、パテルクルスさん。

 

なんでだれも書いてくれないんでしょうね。それとも、不運にも後世に残らなかったということですかね、ティベリ様。

歴史家皇帝クラウディウスの著作や、マウリタニアのユバ王の膨大な著作さえ、残っていないのですからねぇ……。

どっかでなんとか発掘されないかしら……。(本という媒体的に、無理でしょうなぁ…)