増便! 増便!! 増便!!!
Doさん! Doさん!! Doさん!!!
いかがっすか!? これからは足りなくなると思うんすよ! 需要ができたと思うんすよ!
というわけで、増便! 増便!! 増便!!! プリーーーーズvVvV
(どうするんですか! 二年後、ジャンボリーとかぶったら! 実際、今年もかぶってましたやん。どっちにも行きたいんですが! ←気が早いわ! でも至福……!)(なんとかお金を貯めないとなぁ……)
ところで、『愛しのアイリーン』観に行ってまいりました!
(以下、内容に触れております。ネタバレくれぐれもご注意願います)
個人的に、かなり満足しております。家に帰って、布団に入って、それからひっそり思い出し泣きしました。いや、良かったと思います。あれこれと考えては際限ない。書きたいことがいっぱいあります。でも今日は書ききれなさそう……。
とりあえず、万が一これから自分が結婚して、万が一嫁ぎ先に強烈なお姑さんがいたとしても、この映画を思い出せばなんとか乗り切れる気が――いやいや、そういう感想じゃなく!
猟銃ぶっ放したシーンが、もう我が胸貫通でございました。あれこれ考えられず、ただまさに胸を撃たれ……打たれました。
そして終盤のシーンですね、やはり。
あんなにブレない人っていますか? ほかの物語ながら、たぶんどこかでほだされると思うんですよ。「改心」すると思うんですよ。ところが、最後の最後まで、まったく変わりませんでしたね。そこがリアルなようであり、また非リアルなようでもあり、今もなんとも不思議な気持ちでいます。
「差別」とか「価値観」って、確かに変えようとしたところで簡単に変えられないところがあると思うんですが、「差別」感は抱きながらも、特定の「個人」は特別視や例外扱いして、ある意味では都合良く変えていく場合が大半だと思うんですよね。「人間は嫌いだ。でもお前だけは好きだし、認める」みたいに。
最後だってあれは、アイリーンが発したあの単語で心を変えたわけではなく、思いを馳せていたのは最後まで、我が息子を産んだという喜びと、それから始まる世界一幸福な42年――そう感じさせる至高のシーンでした。
序盤から早々に、主演が我らが国王陛下であることを、ほぼすっかり忘れて魅入っておりました。いつもならわりと頭のどこかで、「ああっ、ケンさんとあんなことやこんなことうらやましい…」「我が家の前でもヤスーダ様がバスに乗り遅れて走ってねえかな、おい……」とか考えてしまうんですが。
とはいえ、ケンさんでなければ、もしかしたら観るのがしんどかったかもしれないというのも、一方ではおそらく事実です。たぶんほかの方だと、推しグループに限らず、「やめてください! お願いです、やめてください!」と思ってしまったかも。
原作、拝読したことがないのですが、おそらくネットがほぼない時代なのでしょうね…。そうでなければ、あんな狭い世界で閉じてしまうことはない。地元→外国、なんてすぐに極端に走ることもなかったはずなんですよ。出会いの手段は、今なら色々ありますから。まったく絶望的にモテない人ではないことは描かれていましたからね。
とはいえ、当初のイワオさんは、一時の相手を求めていたわけではなく(お金がなかったわけではないのだし)、明確に「性的魅力があり、かつ自分を一途に愛してくれる女性」を求めていたんですよね。
これがどういうわけか、叶いはじめた途端に狂いはじめる皮肉。暴走し始める理不尽。
あとちょっとタイミングが早かったら、たぶん普通にお見合い相手と結ばれ、わりとお似合いで、そこそこ幸せにはなっていたであろうに……と切ない。
とはいえとはいえ、あの瞬間のために生きてきたと確かに感じたに違いない。
しかし親子だなぁ、と思わせる、見事な描写。
さっさと出て行けばいいのに……という気持ちも観客は抱くものの、イワオさんもきっとどれだけ母親の愛情に支えられて生きてきたか、骨身にしみて、なんて言葉ではまったく不足なくらい、わかっていたんでしょうね。あの愛がなければ、42年間生きてはおれなかった。とっくに破滅していた。どんな息子でもブレない愛。ありそうで、実はなかなかないのかもしれない。あるいは、当たり前なのかもしれない。いや、やっぱりあれほどはまずないって…!
もちろんこの「愛」にも、多分に自己都合や自己愛は込み込みなわけですけれども。
もう6、7年くらい早ければ、イワオさんもあんなに暴走しなかったと思うんですが、もしや母親が、結果的に多くの見合い相手に難癖をつけて、先送りに先送りをくり返していたのかもしれないですね。そしていよいよ自分の死を近くに感じる年になって初めて、息子を本気でだれかに委ねなければと思ったのかな…。
アイリーンの強さ、そして優しさ。決して無限で無条件ではないけれども、確かにあった「優しさ」。これもまたブレなかったもの。
きっとイワオさんと選んで選ばれずとも、いずれだれかの「妻」にはなっていた。だれの妻になろうと途方もない苦労が待ち構えていることは、きっと覚悟していた。それでも若いからこそ飛び込んだんだと思うけれども、見上げるばかりの覚悟とタフさ。
それを持っていたために、アイリーンはあの頑固極まりない世界のなにかを変え得たのか。少なくとも彼女は得たのだろうな、と思いました。一生の糧。無論、ああいうことはあるべきでないですけれども、彼女だから得られたのでしょう。
凍傷で指が持っていかれかねないと我々などは思ってしまうほど、超絶ハードなシーンでしたな…。
観に行ってよかったと思います。
母親と行くのはどうかと思いましたけども(爆)
彼氏彼女とよりはマシか!?
今回ばかりは、独り観がいちばんと思いました…。