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ところで、前々記事の参考地図ですが、このブログに掲載しはじめていたものの、残りのものとまとめて小説と同じ場所に載せることにしました。人物とかの資料諸々も。
さて以下、ほぼなにもないですが、いかなるネタバレも避けたい方は閲覧注意願います。(…って自分が書いたものに言うのも、おこがましいというか、変な感じですね……)
何度も行き詰りながら、3年ほど書いていましたが、その間色々考えました。たとえば、以前の記事にも書きましたが、「誰得」とか「需要」とか。ちょっと詳しく書きます。
まず、「作者の自己投影キモい」とか「夢小説かよ」という感を抱かれるか、と。
日頃、ティベリウス帝のファンを公言しているやつが書き手ですからね。まずその時点で相当なバイアスがかかっている。
ティベリウスを描くにおいても、一般的に書き手が自作の主人公を好むことは前提にしろ、いったん当人のことを極論嫌いにならないといけない。正確には、徹底して批判的な目で見ないといけない。(「主人公を好きではない」と公言する作者の方を見たことがありますが、作品のファンからすればそんなことは許し難い)。
今作の主人公に関しては、書き手としては、面白くなるなら自己投影でも感情移入でもなんでもすると半ば開き直りながら進めました。主人公にかぎらず、どの登場人物も書き手の分身だと思うし、自分の一部でない人物はそもそも描けないし(少なくとも自分にその技量がない)、自己投影をやめたらそれこそ空虚なただのテキストになってしまう。どうせなら徹底的にやったれ、と。
無論、主人公はこの不肖五流の書き手とは似ても似つかないハイスペ女性。生年は前34と前29の二説ありますが、実在の人物で、34歳にして、女王で王妃、少なくとも4人の子どもの母親。
作中での性格も、良くも悪くもだいぶうらやましい感じでは書いてしまった。……それもある意味、自己の理想の投影なのでしょう。
その程度の是非は、読んでいただいたうえの感を受け止めるしかない。
また、自分への締め切りとして、主人公と同じ年齢のうちに書き上げてアップすることをモチベーションにもしていました。
いつまでたっても書き上がらなかったこれが、なんとか仕上がったのも、無理矢理このタイミングにこじづけたからでしょう
とはいえ、最初からピュートドリスを主人公に考えていたわけではなく、次作構想のために調べているうちにたまたま見つけたのでした。
前作終了時、次作は女性主人公で、という目標を内心勝手に立てていまして、ティベリウスに絡めるなら、候補はアントニアからはじまり、クレオパトラ・セレネ、デュナミス――それから初めてピュートドリスという人物を知りました。なんという魅力的な、創作ポテンシャルの高い人物に出会えたのかと、歓喜したのを覚えています。思えば、奇跡的偶然のタイミングでした。
ただ、ピュートドリスという人間の魅力とはまったく関係のないところで、筆者が勝手に「需要」とか「誰得」とか考えてしまいました。
情報だけ見たら、主人公が三十代半ばの女性。
この段階で、読んでみようかと思ってくださる人が限られてしまうのではと思いました。
(気を悪くされた方がいらっしゃると思います。私自身がその年齢以上ですので、それでもご容赦いただけなければ、以下はお読みになりませんよう)
まずもって主人公が少年少女ではない。精悍な若者でも、腕の立つプロフェッショナルでも、うら若き美女でもない。
著名な作家の方で、女性を書くのが苦手と公言している方がおられます。女性嫌いとさえ言う方もおります(ほかならぬ女性作家の方も)。
塩野先生は、概して女性に辛めで懐疑的です。仕事において、有能な女性は有能な男性より少ないとの趣旨をエッセイで書かれています。そして、女性は有能な男が好き、いい男が好きなのだ、と。
とくに後者の気持ちは、私自身、身に覚えがありすぎます。
結局、女性読者や視聴者もまた、「いい男が大活躍している作品」が好物なのです。
現状、世のエンタメで、女性主人公の作品はかなり不利だと思うのです。
女性からしてまず、上記の本音があります。
男性読者・視聴者もまた、厳しい目で女性主人公を見ます。あるいは、見向きもしません。
男性目線から、女性主人公で成功する作品は、
①主人公が若い、ないし美人。
②主人公がプロフェッショナル。(例:『BONES』)
③主人公が、主要人物の男性に一途である(主人公ではないが、少年漫画のヒロイン等)
といった条件のいずれかを満たすものがほとんどだと思います。
これに当てはまらないのが、『サザエさん』(24歳、夫一筋、美人かもしれない)かもしれないけれども。
(すみません。あくまで新しく読者を得ることを考えた場合の、大雑把な傾向です。実際、そうでなくても目に留めてくださる方はおります)
女性もまた、女性主人公の作品より、男性主人公の作品のほうを、より好む傾向にあると思います。
もちろん女性主人公の作品も好みますが、そこには女性自身の美しさや可愛さへのあこがれが投影されます。私自身も子どものころは魔法使いや美少女戦士に夢中になったものです。そういうジャンルでなくとも、知らぬ人はいない著名で長く大人気である少女漫画はたくさんあります。
しかし漫画やアニメなら、少なくともヴィジュアルはあるわけで。小説となると、これはどうよ……と?
それこそ歴史物(しかもクレオパトラ、ジャンヌ・ダルク、日本だと篤姫、等)がありますが、それは一エピソードではなく生涯を通して描くもので、ではほかに三十代半ば女性主人公となると、……プロフェッショナルものでなければ(ミステリもここに含まれるか)、家庭問題か、ドロドロの不倫もの…?(ある意味では、ある意味では、わっちのも……)あるいは婚活もの…?
そうなると歴史物を除く上記は、いずれにせよ、読者ないし視聴者は、どうしても限られてしまう。現実的に、男性はなかなか見ようと思わないのではないでしょうか。女性もまた、「それよりいい男が出ている作品を見たい!」と思う人も少なからずいるのではないでしょうか。
……かく言う私が、多分にそうであるので。
とはいえ、女性読者・視聴者は、自分と似た立場だったり共感できたりする主人公も、確かに求めていると思います。
実際に、世の中には三十代以降の女性を描いたすばらしい作品が数多あります。
ただ、男性はどれほどそれらを手に取るのでしょう……?
たとえば、ドラマですが、大ヒットした『セックス・アンド・ザ・シティ』、あれを嫌う男性は多いですが(女性もね)、好きだと公言する男性はあまりいないでしょう。まずもって見ないでしょう。主人公たちはアラフォーからアラフィフ。女性のアラサー世代以降は、現実には人生というドラマの真っ只中なのに、そこをフィクション化して大きな「需要」を得るのが難しい。
そこで『SATC』は、視聴者の「好意」が分散されるように作られています。たとえ主人公のキャリーのことが嫌いでも、ミランダかサマンサかシャーロットのことはちょっと好きになる、というように。
若い女性ですが、『セーラームーン』もその例で、必ずしも主人公一人でがんばらずとも、脇キャラの女の子たち(多様に見えて、その実全員可愛い)の魅力で大きな「需要」を獲得できる。
『アリー my Love』は、私の知人男性が絶賛していましたが、アリーは(一応)(失礼)弁護士ですからね。そしてこれもまた脇キャラが魅力。
長々と書いてしまいましたが、私自身も含め、そんな本音を感じないでもない公の場へ、自作を投稿して果たして誰の得になるのか、と。
当の主人公にしてみたら、まったく失礼な話で、それこそ性差別的で被害妄想も込み込み。読まれないとしたら、面白くないとしたら、そりゃ書き手の力不足以外のなにものでもないと言いたくもなるでしょう。
そんなものは存在しないとしても、ずっと考えていました。だれにでも好かれる女性とは、と。主人公に限らず、少年漫画のヒロインでも。万人受けするヒロインなどおらず、ほとんど必ずアンチと呼ばれる人たちがつきます。それもまた、作品が面白いからこそなのですが。
だれにでも好かれなくとも、比較的好かれる女性とはどんな人かとも考えました。あくまでフィクションとしてでも。
考えながらも、自作には必ずしも反映できていませんし、反映していません。そうしては書きたいものも書けないし、面白くもなくなるだろうと思いました
思えば、私自身、おおっぴらにするには質的あるいは権利的に問題ありの類の創作を、子どもの頃から色々やってはきましたが、女性を主人公にしたことは、ほんの一回、しかも父親とのダブル主人公の少女でした。可愛くてしかも剣も魔法も得意…というお約束のスペックまでついて。
だから、つまり、やってみたかったんです。がっつり女性主人公でどこまで書けるか、と。
字面だけ見たら厳しい需要背景です。自己投影しているとしたら、ある意味では自己の需要そのものでもあるわけです。
くり返しますが、ピュートドリスという人の魅力とは関係なく。(そもそもこの人はスペックが高いし、「女王」もある意味ではプロフェッショナル。ただクレオパトラと比べてあまりに知られていない)
どうしても挑戦してみたかった。結果、とんでもない難業でした。でもまあ、悔いはない。というか、まだ書き足りないくらい。
前作のような、ある一文を軸とした明快さもないでしょう。今でも答えが判然としないし、これからまたどんどん変わっていくかもしれない。もしも自分が五十代にこれを書いたなら、きっと変わっていたはずと思う。死ぬまで探し続けるのかもしれない。
『風と共に去りぬ』を思い出します。スカーレット・オハラは、当時の世間では散々な嫌われぶりで、対照的な性格のメラニーのほうが好まれていたそうですが、時代と共にそれが逆転しました。というよりきっと、スカーレットが好き、と大っぴらに言える世の中になったということだったのでしょう。
スカーレット・オハラは、たった一人であれほど世界的な文学の主人公になり得たのだからすごい。彼女はおそらく相当な美人だけれども。でもプロフェッショナルでもなく、また少年漫画的に見ても好かれないであろう類の一途さ。
ここまでに挙げた一流作品は、あまりにも遠い遠い星ですが、それでもピュートドリスを描くことは、この一五流作家の、なにに対してかもわからない、それでもずっとくすぶっていた、意地と挑戦でした。
長文の最後ではありますが、連載にお付き合いくださっている方々へ、感謝の思いでいっぱいです。ありがとうございます。
目を通していただいた時間に、せめていくらかでも報いるものになっていることを願っています。
よろしければ、引き続きよろしくお願いいたします。