今月中旬に入って、地元の書店で、こちらの本を見つけた。
少し前、ネットでたまたま広告を見つけて、気になっていた。
正直に言えば、買うのにちょっと勇気が要った。けれども勘が働いたというのか、今自分に必要なものへの。
果たしてそれは、大当たりもいいところだった。
ありすぎて困るくらいなのだが、とくにこちらの一言、
――「うちのこと好きなんちゃうか?」は自惚れることでも、相手の考えを都合よく考えて現実逃避することでもなく、相手の心のなかにある思いやりややさしさを信頼する魔法の呪文なんです。
二度読み返して、ようやく気づいた。
まさに自分は、これと真逆のことをしてきた、と。
「うちのこと好きなんちゃうか?」ではなく、
「私のことが嫌いに違いない」「今は嫌いじゃなくても、(私がなにかしでかして)、いずれ必ず嫌われるに違いない」
わりとマジでこう思い込んでいた。潜在的に。もう何年も。恋愛にかぎらず、ほとんどの人間関係で。
著者morittoさんは、こういう状態の人のことを「感情の送り出し方が『どへたくそ』」と表している。
つまり私のような「どへたくそ」人間は、自分のことも、そして相手のことも信頼していなかったのだ。自分は必ずなにか失礼なことや傷つけることをやらかすと疑う。そして、せっかく相手がくれた「思いやりややさしさ」を心から信頼したことがなかった。
なんてことだ。はっきり言葉で書かれているのを見て、ようやく自覚したというか、すっきりしたというか。
こういうのを目からうろこと言うのか、と思った。
とんでもなく失礼だし、とんでもなくもったいないことをしてきていたのだ。もう何年も、軽く十の位が二になる以上の年月。
いくつか前の記事で書いたとおりだが、あの思考がまずなんとも無礼極まりないものだったわけだ。だって信頼してないんだもの、どんな形であれ、関わってくれた人を。
morittoさんによれば、こういう長年の「どへたくそ」な感情の送り出し方は、徹底的に直していかなければならないそうだ。
そう、くり返し言い聞かせて直そうとすれば、直るのだ。習慣化するまで、地道に努力すれば。
そして、「自分が出した感情は現実化したらチャラになって消える」のだそうだ。つまり良くない感情も、だ。
これまで人間関係に関して、どのように努力すればいいかわからなかったが、はじめて道筋を教えていただいたように思った。
なんだろう。ここまで具体的にしてもらうと、できるような気持ちに、今はなっている。ヘーイ、ぼくはこれでも英検1級に受かった奴だぞ。毎日欠かさず単語暗記し続けて、なんとか力技で結果を取った奴だぞ。やるべきことがわかったら、こつこつやることくらい、なんてことはない・・・はずだ(←ちなみに理系科目など、ダメなものはからっきしダメだったけど)。
潜在的なところで自分も相手も信頼していない。相手の思いやりとやさしさ・・・広い意味での「好意」を信頼していない。これで何度も失敗してきたように思う。取り返しがつかないものも、いくつも。
猛省。
そして、そんなにすぐには変われないだろうけれども、少なくとも道筋は見えたので、がんばってみようと思う。
ありがとうございます、morittoさん。
つい先日、はじめてブログにお邪魔した。そして・・・目を疑った。そんなまさか、と。
けれども大丈夫だ。そう信じる。だから応援するけど、心配しない(なんか上から目線っぽい言い方で恐縮ですが)。だってすでに多くのパワーと情報を引き寄せている。大丈夫である。断定。
一読者が心配したところでなんの役に立つか。
私にできることは・・・うちのブログに宣伝効果があるかっていうとどうも・・・だけど(苦笑)、もしも私みたいな「どへたくそ」人間関係人間にちょっとでも通じるものがあると思われる方がいましたら、ぜひおすすめします! 買いましょう! 届いて!
「恋愛」に関する本だから、というわけで、失恋したばかりの私が引かれたという理由も大きいのですが、思えばこんな私にも両想いになった経験が、あるっちゃあるのですよね。
どうしてそんなことが起こったか。奇跡にしては、世の中によくよく起こっている(でも自分の身にはめったに起こらない)。
おそらく、こちらの「好き」が、言葉にしなくとも、伝わったんだろうなぁと思います。後先も考えない、決して相手を探らない、ただの「好き」が。
結末はどうあれ、そんな相手に出会えて幸せだったな。
ごく最近の出来事も、今は、言葉をかけてくれたことに(その発想はなかった、なんてことも色々)、なにより会うたびに笑顔で話してくれたことに、感謝しかない。私は、これらをちゃんと受け取っていたか。素直に受け取ることができていたか。なんであれ、彼が思いやりとやさしさをくれた、その事実に変わりはなかったのに。
だからだれといるより楽しかったのに。
ただ、感謝。うれしい。そして、私は彼になにをしてあげられたかと思う・・・。
なんだろう。こういう心境の変化があってから、不思議と、心が平穏になった。それで気づいたのだが、ここのところ1年ばかり、ずっと仕事でピリピリしていた。今期に入ってからとくにひどくて、なにに対してかはわからないけれども、とにかくいちいち腹を立てていた。あるいは、いまにもつぶれてしまうんじゃないかと絶えず不安を感じていた。緊張していた。やるべき準備に身が入らなかった。怒鳴るとかキレるとかはしなかったが、上司とも同僚ともほとんどまったく話さずに帰宅した、なんて日もあったと思う。
それが今月中旬から、なんだか驚くほど楽になった。いや、あくまでこちらの内面の問題で、周りは一切なにも感じていないかもしれないけれど。
でも、すると、なぜか上司や同僚と話をする時間が、突然増えた。そんな気がする。話かけられる。そして、なぜか、仕事が増えてきた・・・! これは気がするではなく、事実としか。フリーターにはこのうえなくありがたいことだ。
ただ、ちょっと前までは、まだそれほどの量でもなかったのに、これ以上は厳しい! 無理! なんて、内心で悲鳴まじりに叫んだりもしていたのだ。
なんだ、これは。これがオーラが変わったとかいうやつですか!? いや、仕事が増えたのは完全に外的な偶然なんですが。
ここ1年あまり、やれ転職活動だ(たいして動いてない)、婚活だ(同じくたいして動いてない)、資格だ免許取得だ(結局はじめない)、恋だ失恋だ・・・・・・でもなにひとつ結果を出せなかったじゃないか!!・・・って、だいぶ落ち込んだものですが、
それでいて、自分が好きではじめたこと、どんなにへたくそでも絶対にやり抜くと決めたこと――にいっこうに手をつけられずで。
情けなくて。頭にきて。
なにもしない毎日、行動しない毎日、なにもできない毎日が、耐えがたくて。なにも手につかずぼんやり過ごす休日も、あり余るように思われる仕事の前後時間も、なにをやっているんだ、と。
なにかをせずにはいられなかった。ただそれだけだった。
一日も、数日も、まして一週間なんて、耐えがたくて、たまらなかった。なにかせずにはいられず、でもほとんどなにもできず、少しだけやって、それで当たり前に結果を出せずに終わった。
忸怩たる思いというやつだった。
しかし、いざ、それらを全部、停止状態にして、数週間。
こんなに心穏やかでいられるんだ、と驚いている。あの耐えがたさはどこへ行ったんだか、不思議。
手は出した。あとは、どれを本気でやるか、ゆっくり考えればいい。そういうことだ。
幸い、しばらく苦しかった仕事が、苦しくなくなってきた。本当に不思議なことに。
なにしろ元々好きなのだ。今の仕事が。
この平穏が、願わくはもうしばらく続きますように。
どうせそのうちまたなんかやらかすんだから(笑) なんせアクティブですから(*^ ^*)
読んでくださり、ありがとうございます。次はこうしたほぼ自己語りではなく、ドートマンダーの話などを上げます (^o^)丿
心をちょっとずつ入れ替えて。