A.Banana.S

古代ローマ、ナックス兄さん、ドートマンダー・・・好きなことをぽつぽつと。

『源氏物語』に夢中。

 

前回の記事を書いたあと、だいぶ体がすっきりしました。書くことが必要だったんですね、私には。さすが先生。

 

それにしてもシゲさん、おめでとうございます!!! 『ハナタレナックス』のDVDを観つつ、CS放送で『おにぎりあたためますか』を追いかけている身です。ですから、もうずっと前からの念願だったことを存じ上げております。

『おにぎり~』のHPによれば、マミさんも再び産休なのでしょうか? いやもう、おめでたすぎて待ちきれず、近々HTBの動画配信にお金を払って最新話を観てしまうと思います。

 

 

さて、タイトルの話題ですが、北海道・東京旅行中、私の旅の友であり続けたのが、『源氏物語』でした。大塚ひかりさんの訳です。

現在、『紅梅』で一時休止中ですが、もう夢中になって読みました。目下、日本が世界に誇る文学作品であることを身にしみて感じているところです。

 

これまでは恥ずかしながら、高校時代にその一部を受験勉強がてら読んだだけでした。『源氏物語』好きの古典の先生がいらっしゃったんですけれどね。だから面白いとはよく聞かされていたんですけど、生徒であった私自身がそれを実感するに至らず。

でも先生の気持ちも今は分かります。いや、私も高校生に読むべきと言いたい一方、内容がエロ満載なので、熱心には薦められないかなぁと思わないでもなかったり。

 

でも本当に、古典とは長い歴史の中を生き伸びてきた傑作であり、そして、決してあらすじを読んだだけではわからない面白さ、すばらしさがあることを、あらためて知らされましたね。光源氏がたくさんの女性と関係を持った末に最愛の人に先立たれて悲嘆に暮れる……などという一言でわかった気になるのは、あまりにもったいなかった。

 

ラブロマンスどころかリアリティそのものです。紫式部のとことんまでに冷徹なまなざしと筆致。平安時代にすでにこれほどの才能の持ち主を日本は持っていたのですね。

 

読んでいるとね、『源氏物語』が物語であることを忘れてしまうんですよ。これ物語じゃなくて歴史書じゃないの?と。まして私は、日本史をほとんど知らないので(まともに勉強したのは中学まで)、もう平安時代光源氏たちが実在したとほとんど信じ込んでしまっているところがあります。

 

登場人物が、すばらしく魅力的です。だれもが作者の手で大切に書かれたことがわかります。嫌いな登場人物が思い浮かびません。一人一人に、「ああ、いるいる、こういう人」とか「わかる、わかる、そうなるよね」と共感せずにはいられないのです。光源氏の敵役の弘徽殿太后に至るまでね、その立場になってみれば…と。

 

主人公の光源氏も、あらすじだけ読んでいたかつての私は「イケメンで稀代の女ったらし」ぐらいの認識しかなかったのですが、実際にこうして読んでみると、こんなに人間味のある人物もいないだろうと、これ実在の人じゃないのと、思うばかりなのです。

たとえ途中でセクハラエロオヤジ化しようが(まだ30代半ばなのに。1000年前に現代にも通じる残念なオヤジがすでに書かれていたなんて)、ネチネチ嫌味を言おうが、女性へ冷酷な言い草をするようになろうが、憎めません。好きかどうかと訊かれたら、好きだと私は答えるでしょう。

最後のね、「御法」と「幻」の巻は、私、本気で涙ぐみました。以下、少し内容に触れてしまいますが――

 

 

 

ずっと光源氏藤壺という至高の女性を追い求めていたわけで、正妻の紫の上も、藤壺の縁者でよく似たところがあるから幼少期からそばにおいて、愛していたように見えたのですが、あの「幻」のしみじみとした悲しみは……ここまで美しい悲しみは見たことがないと思いました。

藤壺のときはここまで悲しまなかったですからね。

長い年月を共に歩んできたからこその、愛と悲しみ。お似合いの夫婦だったと、つれあいの亡きあとに読み手は知るのですね。

 

ただ、読んでいると、光源氏が女三の宮に興味を持ってしまった理由もなんだかわかってしまうわけです。紫の上という非の打ちどころのない妻がいながら、藤壺の縁者というだけで別の女性に目がいってしまう。でも卑近な例ですと、たとえば大好きなアイドルや俳優がいたとしたら、できるかぎりそのすべてを見たいと思ってしまいませんか。出演作品や関連グッズを買い、追いかけて歩きたいと思いませんか。まして今は亡き人ならなおさら。…そんな感覚に近いんじゃないかと思いました。

 

柏木クンなんかもさ、あらすじを読んだだけだとただのお前誰?な間男ですけど、読んでいくと女三の宮に手を出さずにはいられなかった心情が伝わってくるのです。そして、光源氏ほどずぶとくは生きられず、引きこもりになってついにはあわれなことになってしまうのが、なんとも。

 

大塚ひかりさんは、1000年前にも存在した引きこもり、と書かれていましたが、ここでも危うく柏木が実在の人物だと思い込んでしまうところが『源氏物語』のすごさであり、面白さです。それに紫式部が書いたということは、少なくとも似たような方が当時いたことが想像されます。とにかく柏木に限らず、心に問題を抱えて苦しむ人は、古来よりずっと、現代と同じように存在した。

 

…あ、はい、ここで『源氏物語』よりさらに1000年前、古代ローマというところにも、引きこもりの方がいらっしゃったという史実があることも、言わずもがな思わずにはいられず。私はその方に惚れぬいているわけですけれども。

 

こういうところでいちいち、ものすごく共感してしまうのが、紫式部の凄さ、1000年を越えて読まれる古典の偉大さなのですね。

 

古代ローマを出したので、なんとなくイメージですが、光源氏ユリウス・カエサルを思わせるところがあり。いや、もちろん全然違うのはわかっていますけど、その懐の大きさとかが。それにしてもカエサルは頭髪が薄くとも女性にモテまくりでしかも憎まれなかったと言われているのですが、光源氏はイケメンで金持ちで高貴な身分なのに、なぜか結構女性に嫌われたり、逃げられたり、恨まれたりしてますねぇ。一方自分からは決して女性を本気で憎みはしないところが、器の大きさでもあり、また比類なき自尊心の持ち主である所以であり、でしょうか。

…いや、でも最終的には、彼と関わった多くの女性たちが、彼をしっかりと思いやったり感謝したりしていたかな。憎めないんですよ、やはり。

 

光源氏の親友、頭中将は、アントニウスのイメージ。権力主義で体面を気にするけれども、女好き、酒好き、遊び好き、下ネタ好き、そして情に厚いところが。

 

そして光源氏の息子、堅物の夕霧は完全にオクタヴィアヌスアウグストゥスのイメージでした。いや、もう『源氏物語』の良心・夕霧。初体験が仰天の早さだったけど一人の女性を一途に愛し、父親の過ちは決してくり返さなかった、正反対の、デキる息子夕霧。ところがいざ別の女性を口説くとなると、デリカシーゼロもゼロの言動で読者をも引かせる夕霧。生真面目で馬鹿とつけたくなるほど律儀で、父親ゆずりのイケメンで金もあり将来性もありなのに、なぜか女性に好かれない夕霧。

……このへんが、塩野先生に「女性にはさしてモテなかったのではないかと思う」と書かれたアウグストゥスを彷彿とさせたわけです。

 

ほかにも現代に照らしても考えさせられるところが多く、夢中になりました。玉鬘の、結局のところの夫の選択、とか、明石の入道の執念とその生き方の徹底ぶりとか。

 

しかしこれらを存分に楽しめたのも、大塚ひかりさんの訳と「ひかりナビ」のおかげだったと思います。古代ローマ関連の書籍を読んでいるときも思ったのですが、どうせ読まなければいけない注釈ならば面白いものがいいに決まっています。「ひかりナビ」はとてもわかりやすく面白く、読者が決して読みどころを落とさないように書かれていました。

いや、実際、図書館で借りたほうが安上がりだからと一度他の訳本を手にもしたのですが、結局大塚さん訳の本を購入し続けました。

 

いや~、これほど読書を楽しんだのは久しぶりだったかも。何度も胸を打たれました。まだ未読部分があるのが楽しみなような、読むのがもったいないような・・・。

 

 

古典といえば昔から、私は『更級日記』の作者、菅原孝標女に共感しまくりでした。高校時代、「あなたは私ですか!?」と極端な話、もう一人の自分を見た思いでしたもの。『源氏物語』が読みたくて読みたくて、上京を祈願していた若き日の彼女。私もあの当時、ドートマンダーシリーズとかほかにも色々な本を読みたいから東京に住みたいって、熱望していました。前述の古典の先生も、『更級日記』を「田舎者が上京する話」と説明してくださいましたが、まさしく私もそうなったわけで。

そしてその思いが高じて、結局東京どころかアメリカやイタリアにまで行きましたからね。次はどこへ行こうかな。

…それにしても菅原孝標女さんは、30代前半での結婚という、かなりの晩婚だったらしいですね、平安時代としては。私はこのままいけばさらに晩婚となる・・・というかそもそも結婚できるんでしょうか!?(苦笑)

 

でもようやく私もあなたが恋してやまなかった『源氏物語』を読んで、その面白さに触れることができましたよ!

 

我らが同志は、もう1000年も前からいたのですね。

 

 

源氏物語〈第1巻〉桐壺~賢木 (ちくま文庫)

源氏物語〈第1巻〉桐壺~賢木 (ちくま文庫)