A.Banana.S

古代ローマ、NACSさん、ドートマンダーにパーカー、西武ライオンズ、FEプレイ日記(似非)・・・好きなことをぽつぽつと。

2014/08/23 ポンペイ、エルコラーノ 「歩きすぎた!」

仕事が繁忙期に入りました。去年はこの時期に2週間も休暇をもらうという暴挙に出た手前(有給じゃないですけど)、がんばろうと思う毎日です。
しかしこの思い出日記、もう旅行当時から一年を過ぎてしまいそうですね。のんびりにもほどがある・・・。

さて、いよいよかの有名なポンペイです。

そもそも前回のイタリア旅行のとき、なぜこれほどの世界的な観光地に行かなかったのか。古代ローマファンですけれども、とくにティベリウス帝、そしてユリウス・クラウディウス朝のファンである私は、当時ポンペイを優先事項の上位に上げなかったんですね。まずローマでしょ、それからカプリにウフィッツィ美術館でしょ、という具合に。しかしこの二度目の旅では、やはり古代の街並みを丸ごと残すこの場所を、ぜひとも見ておきたいと思った次第です。



朝、ホテルの朝食を食べに下りて、驚きました。前回の旅では、朝食で提供するのはパンとコーヒーだけというホテルがほとんどだったのですけれど、こちらはすごかったです。いや、三ツ星ホテルなんですけれども、もうパンとシリアル、ハムにサラミ(さすがイタリア非常においしくて)、生野菜に果物、コーヒー、紅茶、牛乳に100%ジュースと、一日に必要な栄養をすべて摂取できる豪華さ。文字にするとあんまそうでもないと思われるかもしれませんが、とにかく私はこれでナポリにいるあいだじゅう栄養バランスの心配をしなくていいと感激し、もうこの日一日なにも食べなくてもいいくらいの勢いで食べまくり・・・・・・案の定、この日は昼過ぎまでお腹の重さに耐える羽目になりました。
二日目からは反省し、適量を守りましたが、以降の旅も、ホテルの朝食には恵まれ続けることになります。ありがたや。


さて、苦しいお腹でいざ出発。ナポリ中央駅から、ヴェスーヴィオ周遊鉄道の乗り場へ行きました。予想はしていましたが、やはりそこは世界的観光名所へ向かう人々でごったがえしていました。おまけにこの日は暑かった。
早くも体力を心配しながら、なんとか列車に乗りました。もちろん立ちっぱなしでしたね。


ポンペイに到着したのは真昼。チケット売り場にも行列ができていました。たぶん私が行った時間がほぼピークだったかと思います。
並び続けて、チケットを買ったはいいのですが、このとき私は魔が差しました。ポンペイだけでなく周辺遺跡も観光できる共通券(三日間有効)を買ってしまったのです。せっかく来たのだから、色々見てまわりたいという好奇心からそうしたのですが、その共通券を一日で利用することがいかに過酷なことか、私は考えてもいませんでした。
前日考古学博物館で出土品をたくさん見たから、エルコラーノにも行きたくなってしまったんですよ。二日に分ければいいのに、次の日は次の日で行きたいところがあったので。


ところで、ポンペイの地図かこちら。
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私は地図中央下の入り口から、あちこち寄り道をしつつ、右端の円形闘技場を目指しました。いや、さすが壮観でした。
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ポンペイは当時の中規模の街と言われています。
街が丸ごと残っているのですから、見どころがたくさんあります。あとは好奇心と体力のせめぎ合いです。

なにしろまた言いますが、暑い。そのうえポンペイは、日よけになりそうな場所が少ない。そのうえ足下は石の道です。とにかく足にきます。

よく考えてみれば、街が丸ごと残っているということは、つまり、例えば、我が地元の街を一日で隅々まで歩きつくすみたいなものでしょうか。無理ですって。中にはハイヒールで闊歩する猛者がいらっしゃいましたが、私はスニーカーでもきつかったです。それにオスティアと違い、人が多いからなんとなくあまりのんびりもできない。それでも観光の後半は、古代住宅の傍らでしばし休憩しましたけどね。
あれもこれも見たい。しかし暑いし歩けば歩くほど足が痛くなる。とても一日で見尽くすことはできません。それでも大いに楽しんで参りましたよ。これが古代ローマの街か・・・と、想像復元能力の乏しい私でも、タイムスリップした心地を堪能できました。

どれがなにだったか覚えていなくて残念なのですが・・・
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三番目はお風呂場ですね。

劇場ではちょうど歌っておられる方がいて、得した気分でした。古代の人々もこうして楽しんでいたのですね。
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命賭けの激闘がくり広げられていた、円形闘技場にたどりつくころには、だいぶ人込みも落ち着いてきました。ここまで足を伸ばすのは、この辺りには日蔭もあってしばし休憩できました。
本当はこれから地図上でいうところの左上のほうに、もっと分け入っていきたかったのですけれど、やはり体力を考え、主だった見どころをまず押さえなければと、いったんフォロ(中央広場)へ戻りました。そこで遅い昼食。レストランは人でごったがえしていたので、売店でサンドイッチを買って、外でハトと食事。それからフォロ周辺をあれこれと見てまわりました。

さて、地図上の左上の端が、ポンペイの中でもいちばんの見どころと言われる「秘儀荘」です。ここを見ずに帰るのは惜しいと思うのは当然でしょうが、しかし行くのにかなり歩かなければいけないんですよ。それでも行ったのですけどね、十メートル進んでは休む、みたいな調子で。もはや足は限界。私ばかりでなくほかの観光客の方も、道端で休んでおられる状況でした。

私はいまいち絵画・壁画を上手く鑑賞できないのですが・・・どこをどう見ればいいのか、どこにどのような価値を見いだすべきか、勉強不足もあってわからない場合が多いです。それでも「秘儀荘」の壁画、官能的で、美しかったです(これくらいしか言えない)。このような壁画が邸宅の部屋ごとにあったとしたら、それはさぞ優雅でもあり、楽しくもあり、そして人物画ならなんとなく落ち着かなかったんじゃないかなぁとも思います(見られている気がしませんか?)。ローマのマッシモ宮にあるリヴィアの家の壁画は、花と緑と小鳥たちでとても涼しげで、素敵でしたっけ。家の壁に直接絵を描くって、現代ではまずやらないことですよね。この時代の絵師さんたちは大忙しだったのでしょう。


さて、午後も遅く、私はポンペイ観光を切り上げることにしました。隅々まで見るなら、涼しい季節の最低三日は必要であろう場所を、名残惜しくも後にしたわけですが、私の手にはまだ「共通券」が・・・・・・。


よせばいいのに、私はエルコラーノへ行きました。いや、今でも後悔はしていないんですけれども、これはこの旅の中でもかなりの賭けだったかと。なにしろ散々歩いたのにまだ歩こうというのですからね。もう一つ街を見学しようというのですからね。

帰国後、この話をイタリア語講座の先生に話したら、驚かれました。やはり一日でポンペイもエルコラーノもという行程は、かなり無茶だったようです。

ヴェスーヴィオ周遊鉄道に再び乗り、しかし今度こそはガイドブックに書かれていたとおりきちんと乗り換えをし、無事エルコラーノに着きました。時刻はもう夕方六時近くの、入城時刻ぎりぎりだったように記憶しています。昼はあれほど暑かったのに、このころになると空模様が怪しくなり、ぽつぽつと雨が降り出してきました。

駅からまっすぐ歩きました。500mほどだそうですが、私の限界を超えた足にはそれがこたえることこたえること。

雨を不安がりながらですが、遺跡はかなりじっくり楽しめました。街がかなりこじんまりとしていて、見学しやすい。それでいて、なんというか、街の構造が段になっていて、坂道がきつかったですが、探険していて飽きることがない。時間も時間だったからでしょうが、人もあまりいませんでした。
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観光の終わりには、自販機の前で休憩しつつ、野良猫たちに囲まれ、ちょっとした猫カフェ気分で癒されました。

それでも、帰り道はもうヘトヘトでした。エルコラーノの駅へ戻る一本道をずるずると引き返していくと、途中でレストランの客引きのお兄さんに声をかけられました。私は素直に、むしろありがたや、願ったりかなったりな気持ちで、その歓迎を受けました。

大通りに面したお店だから、大丈夫だと思ったのです。そして、実際にそうでした。この旅で初めて食べたパスタだったかな。おいしかったです。私の横では、地元のおじいさんがたが仲良くおしゃべりをしていらっしゃいました。


無事ホテルに戻ったときは、もうぐったり、一歩も歩きたくない状態でした。よくもってくれたよ我が足。


それで、次の日は休養することにしました。けれども結局、ちょっとばかり冒険します。