もしも古代ローマで、「執政官同僚になりたくない人ランキング」なるものを作るとしたら、残念ながら我が愛しのティベリウス帝はぶっちぎりで1位を獲得することでしょう。
彼と一緒だと仕事がしにくいとか、良いところをもっていかれてしまうとか、そういうわけではありません。
彼の執政官歴を見ますと・・・
①前13年 ティベリウス / 同僚:クィンティリウス・ヴァルス(9年 トイトブルクで敗北。自害)
②前7年 ティベリウス / 同僚:グネウス・ピソ(20年 ゲルマニクスの死の責任を問われ、裁判。自害)
③18年 ティベリウス / 同僚:甥ゲルマニクス(19年 死去。おそらく病死)
④21年 ティベリウス / 同僚:息子ドルースス(23年 死去。おそらく暗殺)
最後のは、おそらくはじめから破滅させるつもりで同僚にしたのでしょうが、それにしてもこのことごとくの非業の死は、もうなにかに呪われているかのようです。最後の以外、ティベリウスはその死に関与していない(はず)ですが、彼らの死の影響は、それぞれ彼をこれでもかとばかりに直撃します。悲しみも苦しみも労苦も、想像に堪えないほど負います。本当に、なんの因果なのでしょうか。
ランキング第2位は、ユリウス・カエサルでしょうか。
彼の場合は、同僚が良いところをもっていかれてしまう型でしょう。カエサルが派手に活躍しすぎて、かすんでしまうわけですね。そして「ユリウスとカエサルの年」になってしまうという・・・。
彼はハンニバル戦争時代の人です。決して彼になんらかの責任があるわけではありません。同僚がなにか被害を受けたからわけでもありません。同僚というのは主にガイウス・ネロ(ティベリウス帝の先祖)なのですが。
リヴィウスとネロはともに執政官に就任しますが、以前から仲が悪かったそうです。というのも、リヴィウスは以前に執政官だったとき、不正の疑いをかけられ、追放の憂き目を見ていたのですが、ネロの証言がその有罪を決定づけたと思っていたのです。
二人は結局、国家ローマを救う勝利を遂げます。ネロの大胆不敵な作戦で、ハンニバルの弟ハシュドバルを打ち破ったのです。
戦の当日はリヴィウスに指揮権があったからと、ネロはリヴィウスに凱旋式の権利を譲りました。これで終われば素敵な仲直り、ローマ史に残る名コンビ、ハッピーエンド、めでたしめでたしだったのですが・・・
二人はその後、よせばいいのにそろって監察官に就任しました。ローマで最も権威ある官職です。そのときリヴィウスがとった行動とは――
「市民どもめ、以前執政官だった折に私を追放して罰金まで科しておきながら、再び執政官に選んだばかりか、そのうえ監察官にまでするとはなにごとか」
で、以前彼に有罪票を投じた地区の市民からだけ塩税を徴収したようです。
ネロはこの同僚に呆れたのでしょうか、喧嘩をふっかけました。国庫のあるサトゥルヌス神殿に入り「最下層階級」なる名簿にリヴィウスの名を書き込みました。それで、リヴィウスも同じことをやり返しました。もちろん、塩税を課した市民全員の名もろともに。
あるとき、資産調査中のネロが、リヴィウスの家の前を通りかかり、国家支給の馬を売れと要求しました。それで、リヴィウスも同じことをやり返しました。
この大人げない喧嘩は、監察官任期が終わるまで続いたそうです。
追放の件が実は無罪だったとすれば、リヴィウスはなにも悪くありません。むしろネロのほうが喧嘩を売っています。だからこの勝手なランキングに入るいわれはないのですが。
ただ私はこのリヴィウスさんの、恨みを抱きしめ愛撫する感じの暗さが好きです。もっと彼の逸話が読めたらなぁ・・・。
ところでティベリウスの母リヴィアは、このリヴィウス一門の出身です(父親がリヴィウス一門の養子になって)。つまりティベリウスにしてみれば、ネロもリヴィウスもご先祖様です。お二方、さぞ仲良く天国から子孫を眺めていたことでしょう。
参考文献は(『ローマ史 ハンニバル戦争』ティトゥス・リヴィウス 北村良和訳)